

ヤコブ2章14節
14 わたしの兄弟たち,ある人が,自分には信仰があると言いながら,業が伴っていないなら,それは何の益になるでしょうか。その信仰はその人を救うことができないではありませんか。
ヤコブ2章15.16節
15 兄弟か姉妹が裸の状態でいて,その日の食物にも事欠くのに,16 あなた方のうちのだれかが,「安らかに行きなさい。暖かくして,じゅうぶん食べなさい」と言うだけで,体に必要な物を与えないなら,それは何の益になりますか。
マタイ25章31~40節
31 「人の子がその栄光のうちに到来し,またすべてのみ使いが彼と共に[到来する]と,そのとき彼は自分の栄光の座に座ります。32 そして,すべての国の民が彼の前に集められ,彼は,羊飼いが羊をやぎから分けるように,人をひとりひとり分けます。33 そして彼は羊を自分の右に,やぎを自分の左に置くでしょう。
34 「それから王は自分の右にいる者たちにこう言います。『さあ,わたしの父に祝福された者たちよ,世の基が置かれて以来あなた方のために備えられている王国を受け継ぎなさい。35 わたしが飢えると,あなた方は食べる物を与え,わたしが渇くと,飲む物を与えてくれたからです。わたしがよそからの者として来ると,あなた方は温かく迎え,36 裸でいると,衣を与えてくれました。わたしが病気になると,世話をし,獄にいると,わたしのところに来てくれました』。37 その時,義なる者たちはこう答えるでしょう。『主よ,いつわたしたちは,あなたが飢えておられるのを見て食べ物を差し上げたり,渇いておられるのを[見て]飲む物を差し上げたりしたでしょうか。38 いつわたしたちは,あなたがよそからの人であるのを見て温かく迎えたり,裸なのを[見て]衣を差し上げたりしたでしょうか。39 いつわたしたちは,あなたが病気であったり獄におられたりするのを見てみもとに参りましたか』。40 すると,王は答えて言うでしょう,『あなた方に真実に言いますが,これらわたしの兄弟のうち最も小さな者の一人にしたのは,それだけわたしに対してしたのです』。
14(イ)ヤコブは信仰と良い業との相互関係をどのように示しましたか。(ロ)イエスは今,それぞれ命か死の前途を持つ者として人々を分けていますが,その分ける業の基準を示すものとして,イエスのどんなことばがありますか。
わたしの兄弟たち,信仰があると言いながら,
それを示す事がらを何も行なわないのであれば,
なんの役にたつでしょうかと疑問を投げかけて、
信仰と行いは比例するよう励ましました。
イエスは羊とヤギをわける業をたとえに出されて、
地上にいる一番小さくて弱いものに、
世話をし、愛を行いで示すなら、
羊として数えられることを
示されました。
ああ、ヤコブの手紙って、
行いが伴わないといけないんだよね。
寝たきりでもできることってあるんだよね。
三浦綾子さんは、
鉄の肺の中に入っているときに、
病室に入って来る人に微笑を
返すように努力したという。
見習いたいね。
=*^-^*=にこっ♪