『平和に役だつ事がらを追い求めなさい』 ものみの塔1973年9月1日 | kaoruko5000のブログ


22 また,単に,自分が考えているような仕方で人が答え応じてくれないからといって,人の動機の正しさをとかく疑う場合があるかもしれません。たとえば,王国会館で,自分では先方があいさつをすべきだと考えていたのに,先方のだれかがそうしなかったかもしれません。こちらからはあいさつをしましたが,先方はひとことも口をききませんでした。では,そのことをあれこれ考えはじめ,少し気分を害し,気持ちの上でしり込みしはじめ,先方は反感をいだいているのかもしれない,あるいは自分のことを好きでないのかもしれないなどと考えますか。気がねに感ずる一種の障壁や,よそよそしい気持ちが生ずるのを許しますか。もし自分自身の動機に注意しないと,ほとんどそれとは気づかないうちに黙って自分で判断を下し,仲間の兄弟のクリスチャンとしての信仰に関する自分の見方に疑いをさしはさむ傾向があります。そうするなら,仲間の兄弟の動機を疑わしいものとして裁いていることになります。確かにあなたの兄弟の行動は不完全です。しかし,あなたは欠点の多い自分の行動によって自分の動機を裁いてもらいたいと思いますか。ですから,明らかに次の点に注意すべきです。自分の兄弟の欠点を捜すよりはむしろ,相手の行動を弁護するように努めるべきです。このようにして,とがめだてをする精神をつのらせないようにしてください。―マタイ 7:1,2。
マタイ7章1.2節
7 「自分が裁かれないために,[人を]裁くのをやめなさい。2 あなた方が裁いているその裁きであなた方も裁かれることになるからです。そして,あなた方が量り出しているその量りで人はあなた方に量り出すでしょう。
22 わたしたちは他の人の動機をどのように誤って裁く場合がありますか。それはなぜ危険ですか。
これ、会衆になれてくると、
気にしがちなことだよね。
行き始めの時は、お客様のように
「ようこそ、いらっしゃいました」
と挨拶してくれるけれど、
何年も行っていると、
誰も声をかけてくれなかったり、
こっちから挨拶しても、
何の返事もなかったり、
でも、相手人は目が悪いかもしれないし、
うつかもしれないし、
わからないよね。
このブログでも、最近、いろいろ言ってくる人がいる。
舞はすぐに人を裁くんだよね。
相手の欠点を捜すよりはむしろ,
相手の行動を弁護するように努めるべきです。
これ、めちゃくちゃ痛いよね。
でも、やってみます。
=*^-^*=にこっ♪

