

4 使徒パウロは世のむなしい営みと汚れを描写した後,再びエフェソスの仲間のクリスチャンに注意を向けました。(エフェソス 4:20,21をお読みください。)パウロは同市で3年ほど過ごし,伝道したり教えたりしたので,エフェソス会衆の多くの人たちと個人的な知り合いだったに違いありません。(使徒 20:31‐35)ですから彼は,「あなた方は,キリストがそのようであるとは学びませんでした」と述べた際,エフェソスのクリスチャンが教えられた真理は,彼が17節から19節で描写した種々の由々しい不行跡を大目に見るような,何でも許容する,薄められた真理ではなかった,という個人的な知識を言い表わしていたのです。パウロは,イエス・キリストの模範によって示された真のクリスチャンの生き方を彼らがきちんと正確に教えられていることを知っていました。それゆえ,彼らはもはや諸国民のように暗闇の中を歩んではおらず,光の子供となっていました。
エフェソス4章20.21節
20 しかしあなた方は,キリストがそのようであるとは学びませんでした。21 本当にあなた方が,イエスのうちにある真理のとおりにその[ことば]を聞き,彼によって教えられたのであればです。
使徒20章31~35節
31 「ですから,目ざめていなさい。そして,三年の間,わたしが夜も昼も,涙をもってひとりひとりを訓戒しつづけたことを覚えていなさい。32 そして今,わたしはあなた方を神とその過分のご親切の言葉にゆだねます。その[ことば]はあなた方を築き上げ,神聖にされた者たちすべての間の相続財産をあなた方に与えうるのです。33 わたしはだれの銀も金も着衣も貪ったことはありません。34 この手が,わたしの,そしてわたしと共にいる者たちの必要のために働いたことを,あなた方自身が知っています。35 わたしは,このように労苦して弱い者たちを援助しなければならないこと,また,主イエスご自身の言われた,『受けるより与えるほうが幸福である』との言葉を覚えておかなければならないことを,すべての点であなた方に示したのです」。
エフェソス4章17~19節
17 それゆえ,わたしは主にあってこのことを言い,また証しします。すなわち,あなた方はもはや,思いのむなしさのままに歩む諸国民と同じように歩んではいません。18 彼らは精神的な暗闇にあり,神に属する命から疎外されています。それは彼らのうちにある無知のため,またその心の無感覚さのためです。19 彼らはいっさいの道徳感覚を通り越し,貪欲にもあらゆる汚れを行なおうとして,身をみだらな行ないにゆだねたのです。
4 パウロは,「あなた方は,キリストがそのようであるとは学びませんでした」と述べた際,どんなことを念頭に置いていましたか。
エフェソスは今で言うなら、東京のように栄えた街でした。
あらゆる不道徳がはびこり、
淫行、姦淫を含むさまざまな汚れがありました。
イエスの贖いがあるからといって、
描写した種々の由々しい不行跡を大目に見るような,
何でも許容する,薄められた真理ではなかったと述べ、
キリストの模範に習って、光の子として歩むように説き勧めました。