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わたしはどんな人間だろう?

では,自己嫌悪に陥っている十代の若者が非常に多いのはなぜでしょうか。それは,ある程度まで,成長して子供の時代を脱しつつあるために起こる自然な反応と言えます。にこにこよく笑うよちよち歩きの子供で,おもちゃのトラックや縫いぐるみの熊がすべてであったのはつい昨日のことのようです。しかし今は,抱き締めたくなるような幼い子供らしさはもうなく,青年期の犠牲者がいるのです。

ハイム・ギノット博士は,「青年期は……十代の若者すべてが人格を再形成しなければならない時期である。十代の若者は……自分の個性を見いださねばならない」と言ったことがあります。ですから若者には独立することにあこがれたり,何でもやりたがったりするところがあります。

しかし限界があるために欲求不満を感じるかもしれません。大人のように見えるかもしれませんが,実際にはまだ大人になりきっていません。毎日のように物を落としたり,物にぶつかったりするぎこちない時期があり,ばつの悪い思いをするものです。感情の面でも限界があります。落胆してもすぐに立ち直れるような大人の経験が全くないので,ささいな不幸が大きな災難のように思えるかもしれません。また,「知覚力」が「使うことによって」正しく訓練されるだけの年月がたっていないため,いつも一番賢明な決定を下すとは限りません。(ヘブライ 5:14)何一つまともにできない,と感じる時もあるでしょう。

しかし,それだからといって,自信を失ってしまう理由は少しもありません。人生に間違いや失敗は付き物です。個性は徐々に固まってゆき,自尊心は育まれます。

ヘブライ5章14節
14 一方,固い食物は,円熟した人々,すなわち,使うことによって自分の知覚力を訓練し,正しいことも悪いことも見分けられるようになった人々のものです。

14歳の頃の自分は夢だったのではないかと思うくらい、
めちゃくちゃだった。
学校では先生に反抗し、殴られたこともある。
いたずら好きで、おっちょこちょいで、
それでいて、陸上部と勉強とを常にトップじゃないと気がすまなかった。
おばたちは学校の先生が多かったので、成績表を見ると、
勉強のランではなくて、行動のランを何とかしなさいと支持された。
でも、実際にどう注意すればいいのかわからなかった。
誰も絶対にほめてはくれなかった。
勉強も運動も、誰も是認もしてくれなかった。
校長先生だけだ。
社宅にまで呼んでくれて、夜、英語を特別に教えてくださったのは・・・
小学校のときもどういうわけか、校長や担任の先生だけには
かわいがられていた。
でも、家では知能指数が160なんだから、できて当たり前。
違うだろーーーー。
そのために、夜中の3時まで勉強してるんだぞ。
もう、舞は泣きたかった。
だから、家が大嫌いで、年中家出ていた。
連鎖やすり込みって怖いよね。
息子に同じ事をするんだから・・・
息子に毎日、公文90枚。
特訓だよね。もっと大切なものがあるのに・・・
誠実さや、慎み深さや愛や喜び
もっとたくさん、大切なものがあるのに・・・
今、親子3人で大切な特質の忘れ物を
育てている。
気づいた時が始まりだ。
昔はどんなに悔いても戻ってこない。
自己正当化しても、時は逆流しない。
どうすれば、その特質をゲットできるか・・・
それだけに今は集中したい。
=*^-^*=にこっ♪