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13 クリスチャンはそうしたくびきを自発的に負います。なぜなら,それは人を元気づけるものだからです。そうする人は,敬けんな自由を体験します。イエスが言われたとおり,「汝らもし常に我が言に居らば,真にわが弟子なり。また真理を知らん,しかして真理は汝らに自由を得さ」せるからです。「このゆえに子もし汝らに自由を得させば,汝ら実に自由とならん」。(ヨハネ 8:31,32,36)したがって,自由を得,自分を元気づけるものを体験するには,イエス・キリストの弟子にならねばなりません。そうした体験にあずかるには,それ以外に道はありません。(ロマ 7:4。ガラテヤ 5:1)今日,クリスチャンであると唱えながら,自由もしくは,自分を元気づけるものを体験していない人は,神と自分との関係を吟味しなければなりません。神はご自身の約束を成就されるかただからです。―列王上 8:56。

ヨハネ8章31.32節
31 そこでイエスは,自分を信じたユダヤ人たちにさらにこう言われた。「わたしの言葉のうちにとどまっているなら,あなた方はほんとうにわたしの弟子であり,32 また,真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」。

ヨハネ8章36節
36 それゆえ,もし子があなた方を自由にするならば,あなた方は本当に自由になるのです。

ローマ7章4節
4 それで,わたしの兄弟たち,あなた方も,キリストの体により律法に対して死んだものとされたのです。それは,あなた方が別の方のもの,死人の中からよみがえらされた方のものとなって,わたしたちが神への実を結ぶためです。

ガラテア5章1節
5 キリストは,このような自由のためにわたしたちを自由にしてくださったのです。ですから,堅く立って,再び奴隷のくびきにつながれないようにしなさい。

列王第一8章56節
56 「すべて約束なさったことにしたがって,ご自分の民イスラエルに憩い所をお与えになったエホバがほめたたえられますように。その僕モーセを通して約束された,その良い約束はみな,一言もたがいませんでした。

13 今日,クリスチャンは,自分の魂を元気づけるものをどのようにして見いだせますか。それをまだ体験していない人は何をしなければなりませんか。

神と自分との関係を自己吟味しなければなりません。
舞は自由でしょうか?
舞はまだ病気の奴隷となっています。
でも、前に比べたらずっと自由です。
希死念慮がある日がありますが、
そんな日は寝にげするか、
病院に助けを求めます。
または無理をしても集会に行きます。
集会は心の洗濯をしてくれます。
首尾よく集会に行くことができた日は、
とてもさわやかです。
元気な日は、スポーツを楽しんだり
散歩したりします。
散歩に行くときは、
神の創造物の中から何か一つ見つけて、
観察します。
柔らかな色合い、花弁、香り、
手触り、公園≦(∩ェ∩)≧...ニャンでも癒されます。
こうして、今あるもので満ちたり感謝できるのです。
ひょっとしたら、あのお金や名誉や地位を求めていた時より、
ずっと富んでいて、幸せなのかもしれませんね。
=*^-^*=にこっ♪