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愛は「傷つけられてもそれを根に持たず」。(字義,それは「悪いことを計算して」いない; 行間)愛は,自分が傷つけられたと考えて,その傷を『計算書』に記載し,しかるべき時に精算されるべきもの,あるいは支払いがなされるべきものとしてとどめ,その時が来るまでは傷つけられた者と傷つけた者との間に何の関係も持たない,というようなことをしません。そのような態度は復しゅう心であり,聖書の中で非とされています。(レビ 19:18; ロマ 12:19)愛は他の人に悪い動機を帰さず,努めて事情を酌量し,他の人のことを善意に解釈します。―ロマ 14:1,5。

レビ記19章18節
18 「『あなたの民の子らに対して復しゅうをしたり,恨みを抱いたりしてはならない。あなたの仲間を自分自身のように愛さねばならない。わたしはエホバである。

ローマ12章19節
19 [わたしの]愛する者たち,自分で復しゅうをしてはなりません。むしろ[神の]憤りに道を譲りなさい。こう書いてあるからです。「復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する,とエホバは言われる」。

ローマ14章1節
14 信仰に弱いところのある人を迎え入れなさい。しかしそれは,[人の]内心の疑問について決定するためではありません。

ローマ14章5節
5 ある人は,ある日がほかの日に勝ると判断し,別の人は,どの日もほかのすべての日と同じであると判断します。おのおの自分の思いの中で得心していなさい。

人に言われた嫌なことなら、
20年たっても忘れません。
20年前、舞は娘がまだ赤ちゃんだった時に
自助グループに通い始めました。
アルコールの離脱のために入院をしていないで、
そのまま自助グループにつながったので、
体は相当衰弱していました。
自分ひとりで通うのも大変なのに、
子供をつれて通うことはとてもつらかった。
お弁当を用意することもできず、
ミーティング上のそばで
買って娘と一緒に食べていました。
ある仲間がそれをみて、
「弁当も作れないのか・・・」
といったのです。
そのときの悲しみ・・
いまだに忘れません。
こうして20年以上もたっているのに、
自分が傷つけられたことはいつまでも覚えているのに、
自分が新しい仲間と待ち合わせをして、
何時間も待たせてしまったことは
先日、グループに行って、
その仲間から聞くまで忘れていました。
もう何年も前のことなのに、
その仲間も忘れていなかったのです。
舞はそれを聞くと、少し落ち込みました。
年数がたった仲間に相談すると、
待ち合わせの場所が、
日本のAAの本部であったこと、
そこにはたくさんの仲間がいたことで
彼は、飲まない時間を与えられたんだからいいんだよ。
といってもらったのですが、
人間とは勝手なものですね。
=*^-^*=にこっ♪