22 敬虔な行為をする際の忠実さも,豊かな祝福をもたらします。それは救いの見込みと,神が約束された新しい事物の体制での喜ばしい将来です。(ペテロ第二 3:11‐13)希望に満ちたエホバの僕たちと,「希望もなく,世にあって神を持たない」人々との間には,何という相違があるのでしょう。(エフェソス 2:11,12)今日のエホバの民はダビデに和して,確かにこう言うことができます。「わたしは,あなたの愛ある親切に依り頼みました。わたしの心があなたの救いを喜びますように」。(詩編 13:5)実に,クリスチャンが自分たちの祝福を数えるなら,喜びに満ちた心をもってエホバに仕えるための数多くの理由が見いだせます。

ペテロ第二3章11~13節
11 これらのものはこうしてことごとく溶解するのですから,あなた方は,聖なる行状と敬虔な専心のうちに,12 エホバの日の臨在を待ち,[それを]しっかりと思いに留める者となるべきではありませんか。その[日]に天は燃えて溶解し,諸要素は極度に熱して溶けるのです。13 しかし,[神]の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります。

エフェソス2章11~12節
11 それゆえあなた方は,肉について言えば,自分たちが以前は諸国民の者であったことを覚えておきなさい。あなた方は,手で肉になされた「割礼」と呼ばれるものによって,「無割礼」と呼ばれていました― 12 そのころあなた方はキリストを持たず,イスラエルの国家から疎外され,約束にかかわる[数々の]契約に対してはよそ者であり,希望もなく,世にあって神を持たない者だったのです。

詩篇13章5節
5 しかしわたしは,あなたの愛ある親切に依り頼みました。
わたしの心があなたの救いを喜びますように。

22 敬虔な行為をする際の忠実さは,どんな結果を生み出しますか。

豊かな祝福
そうですね。聖書を知る前の舞は、
祈りますが、まるで神が舞の望みをかなえるのは、
当然だと思っていました。
そして、神棚や仏壇に祈るのですが、
祈りが聞かれないと、
憤りと悲しみでいっぱいでした。
どうして、あれほど苦労して育てた
稲が台風で全滅するのか、
どうして、おばあちゃんが回復するように
毎日祈ったのに、その祈りは無残にも退けられたのか・・・
どうして、舞は9歳で摂食障害、
14歳でうつ病になったのか・・・
どうして舞は、アルコール依存症になったのか・・・
どうして、父は小脳と脊髄の変性症という難病にかかって
少しずつ運動能力がなくなる恐怖を味わいながら死んでいったのか
どうして母は、あんなに働き尽くめに働いたのに、
すい臓がんで痛み苦しんでやせ衰えて死んだのか・・・
どうして、息子はあんなに苦しんだにもかかわらず
不登校になったのか・・・
どうして、息子は犯罪を犯してしまって、
服役しなければならなかったのか
どうして娘は寂しい思いをしながら、
懸命に耐え努力してきたのに
解離性同一性障害になったのか

もう、憤りと疑問だらけでした。
でも、抱えている問題は、何一つ変わらないのに、
わたしは、神のご意思を学び、イエスの手本に従おうとしている。
心はうつで苦しいときもあるけど、
布団から離れられないような状態にあっても
以前のように自分を裁き、
滅多切りにしなくてすんでいます。
まさに、神の祝福ではないでしょうか?
舞は、与えられたものを数え、
満ち足りて、感謝を捧げます。
そこに、舞の喜び、平安があるからです。
ありがとうございます。
=*^-^*=にこっ♪