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以上の点から分かるように,聖書の原語で言い表わされている従順は,まず聞くこと,つまり情報や知識を得ること(ルカ 12:47,48; テモ一 1:13と比較),次いで,語り手,もしくは他の方法で意志や願いを表明する人のそうした意志や願いに服することを基盤としています。次に服従は,指示通りの反応を求めたり要求したりする相手の権威や権利を認めること,またそのような人の意志に応じる聞き手の願いや意欲の上に成り立っています。さらに,ギリシャ語のペイトーやアペイテオーから分かるとおり,信念や信頼や確信も関係しています。

ルカ12章47節
47 その時,自分の主人の意向を理解していながら用意せず,またはその意向にそって事を行なわなかったその奴隷は,何度も打ちたたかれるのです。48 しかし,理解していなかったために打たれるべきことをした者は,少なく打たれます。実際,だれでも多く与えられた者,その者には多くのことが要求されます。そして,人々が多くをゆだねた者,その者に人々は普通以上を要求するのです。

テモテ第一1章13節
13 以前には冒とく者であり,迫害者であり,不遜な者であったのに,そのわたしが憐れみを示されたのです。わたしは知らずに,そして信仰のないままに行動していたからです。

まず、聞いて情報や知識をえること、
次に、語り手、意思を表明する人の
意思や願いに服することですか?
多分、まだ舞は従順じゃないんだろうな。
ああ、頭が別な問題でかき乱されて
集中できない。
先に日記に書き出せばよかった。
どうか今日一日の思い煩いに
対処することができますように。
負いきれないものは、
あなたが取り上げてくださいますように。
そして、集中してみ言葉から
何かを学び黙想し、祈り、
適応することができますように。