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情報に通じている必要性

もちろん,わたしたちはだれも情報に通じている必要がありますが,膨大な量の情報を得ているからといって,それが必ず真の意味の教育となるわけではありません。情報として流されるものには,ただの事実や生のデータにすぎないものが多く,体験とは結び付いていないからです。この現象は,「情報爆発」というより,「データ爆発」,あるいはもっと皮肉な言い方をすれば,「無縁情報爆発」と呼ぶのが最もふさわしいのではないかとする人もいます。経済評論家のヘイゼル・ヘンダーソンはこの点を次のように見ています。「情報自体が人に啓発を与えるわけではない。メディアが君臨する環境下では,何が“誤情報”で,何が“非情報”で,何が宣伝かを明確にすることはできない。単なる情報のみに注意を集中したことが,意義ある新知識の探求につながらず,どこまでも無意味な無数の断片的生データを過剰に取り込む結果になった」。

ブリタニカ百科出版グループの会長ジョゼフ・J・エスポシートは,次のような率直な評価を下しています。「情報化時代の情報の大半はただ浪費されている。それは単なる雑音にすぎない。“情報爆発”とはよく言ったものだ。爆発が,何事にせよ多くのことをそのとおりに聞く能力をふさいでしまう。聞こえなければ,知ることはできない」。オーリン・E・クラップはこう分析しています。「公共通信で供給されるもののうち,何かを伝えようとしていながら実は何も伝えていない,まがいの情報がどれほど多いかを,だれも知らないのではないかと思う」。

思い出されるに違いありませんが,学校での教育の多くの部分は,試験にパスするために事実を覚えることが中心でした。試験の直前になってあれやこれやの事実を詰め込むこともたびたびでした。歴史の授業で幾つもの年代を丸暗記したことを覚えておられますか。今,そうした出来事や年代をどれほど思い出せますか。それらの事実は,推論して筋道の通った結論に達するようあなたを教えたでしょうか。

本当に、コンピューターの影響で、
知らなくていいことまで
目にしてしまう。
耳にする。
問題はたくさんある情報の中で、
自分にとって何が益となり、
何が不必要なのかを
即座に判断しないといけない。
子供たちは、たくさんの危険にさらされている。
ポケモンのチャットなどで、
年を隠して、40男がまさか
獲物を狙っているなんて誰も知らないよね。
怖すぎですから。
(・_・、)(_・、 )(・、 ) グスン