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迫害でさえ喜びをもたらす

18 迫害を受けることが多いとしても,クリスチャンは喜びに満ちた心をもってエホバに仕えます。イエスは,ご自分のために迫害される人々は幸いであると明言されました。また使徒ペテロもこう述べました。「キリストの苦しみにあずかる者となっていることを歓びとしてゆきなさい。それは,彼の栄光の表わし示される時にも,あなた方が歓び,また喜びにあふれるためです。キリストの名のために非難されるなら,あなた方は幸いです」。なぜでしょうか。ペテロはこう述べます。「栄光の霊,すなわち神の霊があなた方の上にとどまっているからです」。(ペテロ第一 4:13,14。マタイ 5:11,12)クリスチャンであるために迫害を経験することは祝福ではないように思えるかもしれませんが,そうした苦しみを忍ぶなら,あなたは神の霊と是認の証拠を得ることになるのです。その事実こそ確かに喜びを促すものです。

ペテロ第一4章13.14節
13 かえって,キリストの苦しみにあずかる者となっていることを歓びとしてゆきなさい。それは,彼の栄光の表わし示される時にも,あなた方が歓び,また喜びにあふれるためです。14 キリストの名のために非難されるなら,あなた方は幸いです。栄光の[霊],すなわち神の霊があなた方の上にとどまっているからです。

マタイ5章11.12節
11 「人々がわたしのためにあなた方を非難し,迫害し,あらゆる邪悪なことを偽ってあなた方に言うとき,あなた方は幸いです。12 歓び,かつ喜び躍りなさい。天においてあなた方の報いは大きいからです。人々はあなた方より前の預言者たちをそのようにして迫害したのです。

18 クリスチャンが,迫害を受けても喜べるのはなぜですか。

19 エホバがお与えになる神の聖霊と力を持っているので,迫害されるクリスチャンは極限状況のもとでも喜びを保てます。(フィリピ 4:13)何年か前,不当にも死刑の宣告を受けたある若いエホバの証人は,ナチの強制収容所から両親にあてて次のような手紙を書きました。「すでに真夜中が過ぎました。自分の考えを変える時間はまだ残っています。しかし,わたしたちの主を否定したあと,この世で再び幸福にすごせるでしょうか。決してできません! しかしわたしは幸福と平安のうちにこの世を去る覚悟ですからご安心ください」。そうです,迫害されるクリスチャンたちは,確かに喜びに満ちた心をもってエホバに仕えます。

フイリピ4章13節
13 自分に力を与えてくださる方のおかげで,わたしは一切の事に対して強くなっているのです。

19 ナチによる迫害の犠牲者となったある人は,どのように自分の意見を述べましたか。

クリスチャンはこの世のものではありません。
イエスがもし、この世のものであったらなら、
殺されたりはなかったでしょう。
多くの癒しを行い、食物を提供し、
死人を生き返らせても、イエスは殺されました。
ならばそれより小さいわたしたちが、迫害され、
鞭打たれ、投獄され、殺されたとしても不思議ではありません。
この道は、ご利益宗教ではないからです。
そうです。
わたしたちはイエスの名により、
迫害を受ける時、それを喜びとするのです。
それは、イエスを模範として
生きている証拠だからです。
神を捨て、イエスを否認して生きながらえるよりは、
わたしたちは殺されることを選ぶでしょう。
もちろん、神のご意思ならですが・・・