
2 今日,多くの人は,単純な家族中心の暮らしではもう飽き足らなくなっています。商業界が次から次へと製品を作り出し,宣伝技術を駆使して大衆の気持ちを引き付けようとするので,何とかそうした製品を買えるようにと,長時間働くようになった父親や母親は大変な数に上ります。一方,ただ食卓に食物を並べるために日々奮闘している人も,数の面ではそれに劣りません。これらの人々は,生活必需品の支払いをするというただそれだけのために,二つの仕事を掛け持ったりして,以前よりもはるかに多くの時間を仕事に費やさなければなりません。他方,失業問題が広がっているため,一つでも仕事が見つかればそれでいいと考える人もいるでしょう。確かに,現代の家族にとって生活は必ずしも楽ではありません。しかし,聖書の原則は,家族が置かれた状況で最善を尽くすための助けになります。
2 どんな経済状況が家族のストレスを引き起こしていますか。
3 使徒パウロも経済的な重圧を経験しました。パウロはその問題を扱った際に貴重な教訓を学び,友人テモテにあてた手紙の中で次のように説明しています。「わたしたちは世に何かを携えて来たわけではなく,また何かを運び出すこともでき(ません)。ですから,命を支える物と身を覆う物とがあれば,わたしたちはそれで満足するのです」。(テモテ第一 6:7,8)確かに,家族が必要としているのは食物と衣服だけではありません。住む場所も必要です。子供には教育が必要です。そのほかにも医療費などの諸経費がかかります。それでも,パウロが語った言葉の原則は当てはまります。自分の欲しいものを際限なく手に入れるのではなく,必要を満たすことで満足するなら,生活はもっと楽になります。
テモテ第一6章7.8節
7 わたしたちは世に何かを携えて来たわけではなく,また何かを運び出すこともできないからです。8 ですから,命を支える物と身を覆う物とがあれば,わたしたちはそれで満足するのです。
3 使徒パウロはどんな原則について説明しましたか。それを当てはめることは,家庭を上手に管理する上でどのように役立ちますか。
どうしてこう、人は次から次へと、
ものを買うのでしょうか?
何かの感情を紛らわすため?
何かを買うということは、
何かを失うということです。
お金でしょうか?
時間でしょうか?
エネルギーでしょうか?
愛情でしょうか?
考えても見てください。
物は買えます。
でも、時間や力や愛情はお金では買えません。
そして、この美しい星、地球がごみで満ちてしまうとしたら、
あなたはそれでも、ものがほしいですか?
なーんてね、人のこといえませんから・・・