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激発的な怒りは,みだらな行ない,偶像礼拝,心霊術の行ない,酔酒など,他の忌むべき肉の業と同列に置かれています。このようなことをする人は,神の王国を受け継ぐことはできません。(ガラ 5:19‐21)怒りを表わす声が会衆内で聞かれることなどあってはなりません。会衆を代表して祈る男子は,怒りや悪意の感情を抱いていてはなりません。(テモ一 2:8)クリスチャンは憤ることに遅くあるようにと命じられており,人の憤りは神の義の実践とはならないと告げられています。(ヤコ 1:19,20)また,「神の憤りに道を譲り」,復しゅうはエホバに任せるようにと諭されています。(ロマ 12:19)すぐに憤る人は,神の会衆内の監督としては用いられません。―テト 1:7。

ガラテア5章19~21節
19 さて,肉の業は明らかです。それは,淫行,汚れ,みだらな行ない,20 偶像礼拝,心霊術の行ない,敵意,闘争,ねたみ,激発的な怒り,口論,分裂,分派,21 そねみ,酔酒,浮かれ騒ぎ,およびこれに類する事柄です。こうした事柄についてわたしはあなた方にあらかじめ警告しましたが,なおまた警告しておきます。そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません。

テモテ第一2章8節
8 それゆえわたしは,どの場所でも男が祈りをし,忠節な手を挙げ,憤りや議論から離れているように望みます。

ヤコブ1章19~20節
19 わたしの愛する兄弟たち,このことを知っておきなさい。すべての人は,聞くことに速く,語ることに遅く,憤ることに遅くあるべきです。20 人の憤りは神の義の実践とはならないからです。

ローマ12章9節
19 [わたしの]愛する者たち,自分で復しゅうをしてはなりません。むしろ[神の]憤りに道を譲りなさい。こう書いてあるからです。「復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する,とエホバは言われる」。

テトス1章7節
7 監督は,神の家令としてとがめのない人で,我意を張らず,すぐに憤らず,酔って騒いだりせず,人を殴らず,不正な利得に貪欲でなく,

できたら、許せたらいいよね。
お互いにしのびあえたらいいよね。
でも、相手がこちらの忍耐には気づかないで、
こちらの非ばかり指摘されると、たまっていたものが、
一気に思い出されて言い過ぎてしまったりします。
今朝も彼と、チャットでけんかになってしまいました。
メールで言われるなら、素直に聞けることも
チャットだと、自分の言いたいことばかり言ってんじゃない
って感じになってしまうのは、
舞が素直じゃないのかな?