
「物事に打ち込むというのは,わたしにとっていつでもいやな言葉でした」と,24歳の一独身女性は語りました。しかしその女性の生活は意義のないものでした。彼女はこう語っています,「来る日も来る日も意気消沈と孤独の毎日でした……わたしは何年も待ち暮らしたのです―わたしの人生を中に入れた封筒を世から手渡されるのを待ちながら。その時には万事がうまくゆく,とわたしは考えたのです。寂しさも不安もなくなる,と」。それは決して起きませんでした。
この女性の経験は数多い経験の中の典型的なものです。多くの孤独なティーンエージャーについて,一研究者は次のように報告しているからです。「彼らは掘り下げることをしなかった。生き残るための方法を学ばず,生涯の事業を設定することの重要性を見いださなかった」。孤独を克服しようとしているのであれば,「生涯の事業」の重要性と物事に打ち込むことの必要性をいくら強調しても強調し過ぎることはありません。しかし何に打ち込むのですか。従事できる仕事は今日数多くあります。「生涯の事業」として,そのどれを選ぶべきですか。
何千年も前に,知恵に富むある王は,富,園芸,造園,建築,音楽,愛人その他多くのものを次から次へと追い求める手段に恵まれていました。みずから追求した様々の道をすべて回顧した後,ソロモン王は言いました。「すべてを聞いたいま,事の結論はこうである。真の神を恐れ,そのおきてを守れ,それが人の務めのすべてだからである」。ソロモンは当時,手に入れることのできたものすべてを考究したのです。人生におけるその経験は,神と神の崇拝を中心とした生活こそ,永続する満足をもたらす唯一の営みであるとの結論に至らせたのです。多くの人は,ソロモンの「結論」が今日の世界においても等しく真実であることを経験してきました。―伝道 2:3‐11; 12:13,新。
伝道の書2章3~11節
3 わたしはぶどう酒で自分の肉体を元気づけることにより,心を用いて探究した。そうしながらも,わたしは知恵によって自分の心を導くのであった。それは,人間の子らがその命の日数の間に天の下で行なうことに,彼らにとってどれほどの良いことがあるかを見ることができるようになるまで,わたしが愚行をとらえて置くためであった。4 わたしはより大きな仕事に携わった。自分のために家々を建て,自分のためにぶどう園を設けた。5 自分のために園や庭園を造り,その中にあらゆる種類の果樹を植えた。6 自分のために水の溜め池を作った。それによって,樹木の生え出る森林に水を注ぐためであった。7 わたしは下男やはしためを得,家の者の子らを持つようになった。また,畜類,すなわち非常に多くの牛や羊を持つようになった。わたしより先にエルサレムにいた者すべてに勝ってである。8 わたしはまた,自分のために銀や金を,そして王たちと管轄地域に属する特殊な財産をためた。わたしは自分のために男の歌うたいや女の歌うたいたち,また人間の子らの無上の喜び,つまり淑女,淑女たちをも設けた。9 そしてわたしは,わたしより先にエルサレムにいただれよりも大いなる者となり,増し加わった。しかも,わたしの知恵はわたしのものとしてとどまったのである。
10 そして,わたしは自分の目が願い求めるものは何物をもそれから遠ざけなかった。わたしは自分の心からどんな歓びをも差し控えなかった。わたしの心は,わたしのすべての骨折りのゆえに喜びに満たされたからである。これはわたしのすべての骨折りによるわたしの分となった。11 そしてわたし自身,自分の手の行なったすべての業と,成し遂げようとして自ら骨折って働いたその骨折りを振り返って見たが,見よ,すべてはむなしく,風を追うようなものであり,日の下には益となるものは何もなかった。
伝道の書12章13節
13 すべてのことが聞かれたいま,事の結論はこうである。[まことの]神を恐れ,そのおきてを守れ。それが人の[務めの]すべてだからである。
人は何かを手に入れたいと願う時、
努力しますよね。
たとえば、わたしは25歳で指圧の学校に行きました。
自分でお金をためて、その当時は芸者の仕事をしていましたから、
スケジュールとしては、かなりハードなものでした。
昼間、学校に行って夜は芸者。
合間を縫うように子供との時間を持ち、
とても忙しくしていました。
その頃は、生長の家という宗教を信じていました。
そして、夏休みや春休みを利用して、
子供をつれて、錬成道場に合宿しました。
道場での食事は、簡素なものが多く、
でも感謝に満たされた心で食べると、
その麦ご飯と、梅干、味噌汁等がとてもおいしいのです。
松坂牛やイセエビなど、高級食材を使っての
レストラン等の食事も、確かに楽しいのですが、
あの道場での食事は、満ち足りたものでした。
心が満たされていると、味もこんなに変わるのかと思ったほどです。
それから、まもなくでしょうか?
聖書を読み始めたのは、
人の幸せは、ものやお金や地位や名誉ではないんですね。
霊的食物をとらないと、魂が枯渇します。
満足が壊れていきます。
世に流されます。
神がわたしを愛してくださると信じられる今、
なんて幸せなのでしょう。
わたしはできる限ることをして、
神の愛に答えたいと思います。