
14 聖書は科学の教科書ではありませんが,科学的にも正確な本です。例えば,ほとんどの人が地球は平らであると思っていた時代に,預言者イザヤは地球を「円」(ヘブライ語はフーグで,ここでは「球」という考えを伝えている)として表わしました。(イザヤ 40:22)地球は球体であるという考え方が広く受け入れられるようになったのは,イザヤの時代から何千年も後のことです。さらに,ヨブ 26章7節―3,000年余り前に記された箇所―には,神は「地を無の上に掛けておられる」とあります。ある聖書学者はこう述べました。「何もない宇宙空間に地球が自然に釣り合いを保って浮かんでいるという,天文学によって証明された真理をヨブがどうして知っていたのかという点は,聖書が霊感によるものであることを否定する人々にはなかなか解けない疑問である」。
イザヤ40章22節
22 地の円の上に住む方がおられ,[地]に住む者たちは,ばったのようである。その方は天を目の細かい薄織りのように張り伸ばしておられ,それをその中に住むための天幕のように広げ,
ヨブ記26章7節
7 [神]は北をむなしい所の上に張り伸ばし,
地を無の上に掛けておられる。
14 聖書が科学的にも正確であることを,何が示していますか。
15 聖書に見られる記録の仕方も,長い歳月を経たこの本に対するわたしたちの確信を強めます。神話とは違って,聖書で扱われている出来事は特定の民族や年代と関連づけられています。(列王第一 14:25。イザヤ 36:1。ルカ 3:1,2)古代の歴史家はほとんどの場合,自分たちの支配者の勝利を誇張し,敗北や間違いを隠しているのに対して,聖書の筆者たちは自分自身の重大な罪をさえありのままに正直に記述しました。―民数記 20:7‐13。サムエル第二 12:7‐14; 24:10。
列王第一14章25節
25 そして,レハベアム王の第五年に,エジプトの王シシャクがエルサレムに攻め上って来たのである。
イザヤ36章1節
36 さて,ヒゼキヤ王の第十四年に,アッシリアの王セナケリブがユダの防備の施されたすべての都市に攻め上って,これを奪いはじめた。
ルカ3章1.2節
3 ティベリウス・カエサルの治世の第十五年,ポンテオ・ピラトがユダヤの総督,ヘロデがガリラヤの地域支配者,一方その兄弟フィリポがイツリアおよびテラコニテ地方の地域支配者,そしてルサニアがアビレネの地域支配者であった時,2 祭司長アンナス,およびカヤファの時代に,神の宣言が荒野においてゼカリヤの子ヨハネに臨んだ。
民数記20章7~13節
7 次いでエホバはモーセに話してこう言われた。8 「あなたとその兄弟アロンは,杖を取って,集会を呼び集めよ。そしてあなた方は彼らの目の前で大岩に向かって話し,それがまさに水を出すようにしなければならない。あなたは彼らのためにその大岩から水を出し,集会の者たちとその駄獣とに飲ませるのである」。
9 それでモーセは命じられたとおりにエホバの前から杖を取った。10 その後モーセとアロンは会衆をその大岩の前に呼び集め,次いで彼はこう言った,「さあ聞け,反逆の者たち! この大岩からわたしたちはあなた方のために水を出すのか」。11 そうしてモーセは手を掲げ,自分の杖でその大岩を二度打った。すると,沢山の水が出て来て,集会の者たちとその駄獣はそれを飲みだした。
12 後にエホバはモーセとアロンにこう言われた。「あなた方がわたしに信仰を示さず,イスラエルの子らの目の前でわたしを神聖なものとすることを怠ったゆえ,それゆえに,わたしが必ず彼らに与えるその土地に,あなた方がこの会衆を携え入れることはないであろう」。13 これがメリバの水である。イスラエルの子らがエホバと言い争い,それによって[神]が彼らの中で神聖なものとされたためである。
列王第二12章7節
7 そこでナタンはダビデに言った,「あなたがその人です! イスラエルの神エホバはこのように言われました。『わたしがあなたに油をそそいでイスラエルの王とし,わたしがあなたをサウルの手から救い出した。8 それに,わたしは喜んであなたにあなたの主の家を,またあなたの主の妻たちをあなたの懐に与え,あなたにイスラエルとユダの家を与えた。また,もしそれでも足りないというのであれば,わたしは喜んでこのようなものや他のものをあなたに増し加えたであろう。9 どうしてあなたはエホバの目に悪いことを行なって,その言葉を侮ったのか。ヒッタイト人ウリヤをあなたは剣で討ち倒し,その妻を自分の妻として取り,彼をアンモンの子らの剣で殺したのだ。10 それで今や,剣は定めのない時までもあなたの家を離れない。あなたがわたしを侮って,ヒッタイト人ウリヤの妻を取り,自分の妻としたからである』。11 エホバはこのように言われました。『見よ,わたしはあなたに対して,あなたの家から災いを起こそうとしている。わたしはあなたの妻たちをあなたの目の前で取り上げ,あなたの仲間の者に与えよう。その人は必ずこの太陽の下で公然とあなたの妻たちと寝るようになる。12 あなたはひそかにしたが,わたしは全イスラエルの前,太陽の前でこの事を行なうであろう』」。
13 そこでダビデはナタンに言った,「わたしはエホバに対して罪をおかした」。するとナタンはダビデに言った,「エホバもまた,確かにあなたの罪を見逃されます。あなたは死ぬことはありません。14 それにしても,あなたはこの事によって,疑いもなく不敬な仕方でエホバを扱ったので,あなたに生まれたばかりのその子は,必ず死ぬでしょう」。
サムエル第二24章10節
10 ところで,ダビデがこのように民を数えた後,その心は彼を打ちはじめた。そこでダビデはエホバに言った,「私は自分のしたことで,大いに罪をおかしました。それで今,エホバよ,どうか,この僕のとがを見逃してください。私は本当に愚かなことを致しましたので」。
15 聖書の記録の仕方を考慮すると,聖書に対する確信はどのように強められますか。
ギリシャ神話でさえ、タイタンが地を持ち上げて支えていると信じてた
時代である。それよりはるか以前のヨブが何もない宇宙空間に地球が自然に釣り合いを保って浮かんでいると考えるのは、不思議ですよね。
また、通常自分のよいところは書いても、自分の行った過ちについて、正直に各著者は、
あまりいない。
こういう点からも、聖書はほかとは異なっている文章であるといえる。
これからも考古学者が、聖書の記述にある
遺跡などを発見して、聖書がまぎれない現実に起きたことであることを証明されていくことだろう。