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比類のない喜ばしい特権

9 エホバを知りエホバに仕えるのは何にも比べられない祝福です。神は預言者エレミヤを通して次のように言われました。「自慢する者はこのことのゆえに,すなわち洞察力を持っていることと,わたしについて,わたしがエホバであり,愛ある親切,公正そして義を地に行なう者であるという知識を持っていることとのゆえに自慢せよ」。(エレミヤ 9:24)当然ながら,神のみ名に関する知識を持っているだけでは十分ではありません。エホバを知るとは,エホバの特質,物事の扱い方,態度,目的を知ることを意味します。エホバに従い,エホバの権威を認めてそれに服すことを意味しています。(ヨハネ第一 5:3)聖書を勤勉に学び,み父と完全に調和している神のみ子の言葉や行ないについて黙想するなら,神との個人的で親密な関係を得ることができます。(ヨハネ 1:18; 14:9‐11)このようにしてエホバを知る人々は確かに喜びに満たされます。実際,「神[エホバ]はご自分のみ前にあって善良な人に,知恵と知識と歓びとをお与えになった」のです。―伝道の書 2:26。

エレミヤ9章24節
24 「しかし,自慢する者はこのことのゆえに,すなわち洞察力を持っていることと,わたしについて,わたしがエホバであり,愛ある親切,公正そして義を地に行なう者であるという知識を持っていることと[のゆえに]自慢せよ。わたしはこれらのことを喜びとするからである」と,エホバはお告げになる。

ヨハネ第一5章3節
3 そのおきてを守り行なうこと,これがすなわち神への愛だからです。それでも,そのおきては重荷ではありません。

ヨハネ1章18節
18 いまだ神を見た人はいない。父に対してその懐[の位置]にいる独り子の神こそ,彼について説明したのである。

ヨハネ14章9~11節
9 イエスは彼に言われた,「わたしはこれほど長い間あなた方と過ごしてきたのに,フィリポ,あなたはまだわたしを知らないのですか。わたしを見た者は,父を[も]見たのです。どうしてあなたは,『わたしたちに父を示してください』と言うのですか。10 わたしが父と結びついており,父がわたしと結びついておられることを,あなたは信じていないのですか。わたしがあなた方に言う事柄は,独自の考えで話しているのではありません。わたしとずっと結びついておられる父が,ご自分の業を行なっておられるのです。11 わたしは父と結びついており,父はわたしと結びついておられると[言う]わたしを信じなさい。そうでなければ,業そのもののゆえに信じなさい。

伝道の書2章26節
26 [神]はご自分のみ前にあって善良な人に,知恵と知識と歓びとをお与えになった。しかし罪人には,[まことの]神のみ前にあって善良な者にただ与えるために,集めたり寄せ集めたりする仕事をお与えになった。これもまたむなしく,風を追うようなものである。

10 まことの神に「神聖な奉仕」をささげるという計り知れないほどの特権は,エホバの証人たちが得ているもう一つの祝福です。これ以上に有意義な,これ以上に満足を与える方法で命を用いることはだれにもできません。確かにゼカリヤ(バプテスマを施す人ヨハネの父親)は,エホバが,いつの日も「み前で忠節と義とをもって恐れなく神聖な奉仕をささげる特権」をご自分の民にお与えになったことについてエホバを賛美し,その点を見事に言い表わしました。―ルカ 1:67‐79。ローマ 12:1; 啓示 7:9,13‐15と比較してください。

ルカ1章67~79節
67 また,その父ゼカリヤは聖霊に満たされ,預言してこう言った。68 「イスラエルの神エホバがほめたたえられますように。ご自分の民に注意を向け,その救出を成し遂げられたからです。69 そして,わたしたちのため,ご自分の僕ダビデの家に救いの角を起こしてくださいました。70 ご自分の聖なる預言者たちの口を通し,71 わたしたちの敵から,またわたしたちを憎むすべての者の手からの救いについて昔から語ってこられたとおりです。72 それは,わたしたちの父祖たちに関連して憐れみを施すため,またご自分の聖なる契約,73 すなわち,わたしたちの父祖アブラハムに誓われたその誓いを思い出すため,74 敵の手から救い出されたのち,75 いつの日もみ前で忠節と義とをもって恐れなく神聖な奉仕をささげる特権をわたしたちに得させるためなのです。76 しかし幼子よ,あなたは,至高者の預言者と呼ばれるでしょう。その道を備えるため,77 罪の許しによる救いの知識をその民に与えるために,エホバのみ前を先立って行くからです。78 それはわたしたちの神の優しい同情によるのであり,この[同情]と共に,夜明けが高い所からわたしたちに訪れます。79 闇と死の陰に座る者に光を与え,わたしたちの足を平和の道にまっすぐに向けさせるためです」。

ローマ12章1節
12 そのようなわけで,兄弟たち,わたしは神の情けによってあなた方に懇願します。あなた方の体を,神に受け入れられる,生きた,聖なる犠牲として差し出しなさい。これがあなた方の理性による神聖な奉仕です。

啓示7章9節
9 これらのことの後,わたしが見ると,見よ,すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆が,白くて長い衣を着て,み座の前と子羊の前に立っていた。彼らの手には,やしの枝があった。

啓示7章13~15節
13 すると,長老の一人がこれに応じてわたしに言った,「白くて長い衣を着たこれらの者,これはだれか,またどこから来たのか」。14 それでわたしはすぐ彼に言った,「わたしの主よ,あなたが知っておられます」。すると彼はわたしに言った,「これは大患難から出て来る者たちで,彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした。15 それゆえに神のみ座の前にいるのである。そして,その神殿で昼も夜も[神]に神聖な奉仕をささげている。また,み座に座っておられる方は彼らの上にご自分の天幕を広げられるであろう。

10 人間の命を用いる点で,最も有意義で,最も満足を与える方法とはどんなものですか。

11 エホバの証人としてエホバのみ名を担う特権は,神に「神聖な奉仕」をささげることと関係しています。(イザヤ 43:10‐12)それは確かに喜びを促進するはずです。まさにエレミヤが述べた通りです。「わたしにとってあなたの言葉はわたしの心の歓喜となり,歓びとなります。万軍の神エホバよ,わたしはあなたのみ名をもってとなえられたからです」―エレミヤ 15:16。

イザヤ43章10~12節
10 「あなた方はわたしの証人である」と,エホバはお告げになる,「すなわち,わたしが選んだわたしの僕である。それはあなた方が知って,わたしに信仰を抱くためであり,わたしが同じ者であることを理解するためである。わたしの前に形造られた神はなく,わたしの後にもやはりいなかった。11 わたしが―わたしがエホバであり,わたしのほかに救う者はいない」。

12 「あなた方のうちにほかの[神]がいなかったときに,わたし自ら告げ知らせ,救いを施し,[それを]聞かせた。それで,あなた方はわたしの証人である」と,エホバはお告げになる,「そして,わたしは神である。

エレミヤ15章16節
16 あなたの言葉が見いだされたので,わたしはそれを食べはじめました。わたしにとってあなたの言葉はわたしの心の歓喜となり,歓びとなります。万軍の神エホバよ,わたしはあなたのみ名をもってとなえられたからです。

11 喜びを生み出すどんな特権は,神に「神聖な奉仕」をささげることと関係がありますか。

12 神に仕えていても時々落胆するのであれば,対照をなす事柄を何か少し考えてみると,気分が晴れるかもしれません。例えば,邪悪なみ使いたちが,神からの不利な裁きを受けるために『とこしえのなわめをもって濃密な闇のもとに留め置かれている』ことを考えると,エホバの奉仕にあずかっている義なるみ使いたちの境遇は,一層喜ばしいものとして際立ってきます。(ユダ 6)そして,喜びに満ちたイエスの立場と,とこしえの滅びに直面しているサタン悪魔の立場は何と著しい対照をなしているのでしょう!(啓示 20:10,14)さらにまた,エホバの憐れみ深いお世話と祝福に注目すれば,「義なる者と邪悪な者,神に仕える者と仕えなかった者との相違」を理解するのは確かに容易になります。(マラキ 3:17,18)しかし,喜びの心をもってエホバに仕えるための明確な理由となる,さらに別の祝福についても考えてみましょう。

ユダ6節
6 また,自分本来の立場を保たず,そのあるべき居所を捨てたみ使いたちを,大いなる日の裁きのために,とこしえのなわめをもって濃密な闇のもとに留め置いておられます。

啓示20章10節
10 そして,彼らを惑わしていた悪魔は火と硫黄との湖に投げ込まれた。そこは野獣と偽預言者の両方が[すでにいる]ところであった。そして彼らは昼も夜も限りなく永久に責め苦に遭うのである。

啓示20章14節
14 そして,死とハデスは火の湖に投げ込まれた。火の湖,これは第二の死を表わしている。

マラキ3章17~18節
17 「そして彼らは必ずわたしのものとなる」と,万軍のエホバは言われた。「それは,わたしが特別な所有物を生み出す日である。そしてわたしは,人が自分に仕える子に同情を示すのと同じように彼らにも同情を示す。18 そしてあなた方は必ず,義なる者と邪悪な者,神に仕える者と仕えなかった者との[相違]を再び見るであろう」。

12 落胆した場合には,どのような対照的な事柄を考えることにより,気分が晴れるかもしれませんか。

クリスチャンの集会に息子と一緒に
いってこれた。
いくときは、体もだるく、動くのがひどく億劫だったが、
終わったあとの喜び、さわやかさ、平安はほかの何もにも
変えがたい。
全宇宙の作り主に招待されているという安心感、
みんなと集い合える喜び、
そして、自分を平衡の取れた見方で
省みることができる特権です。
この気持ちがどうか続きますように。