
10 真のクリスチャンの全生涯は信仰に支配されるものですから,神への奉仕において遭遇する障害を克服することができます。それと同じく祈りの場合にも,祈りを聞くことができまた実際に聞いてくださる真の生きた神がおられるという信仰は,わたしたちが神と自由に語る助けになります。実際,『神がおられること,また,神はご自分を切に求める者に報いてくださる』ということを心から信ずるのは重要なことです。(ヘブライ 11:6)人々は世界各地に住んでいるのでその必要もさまざまに異なるかもしれませんが,最もよく知っておられ,最もよく世話をしてくださるかたは,わたしたちの必要を常にご存じです。ひゆ的な意味で,『エホバは,信仰をもってエホバを呼ぶ者すべてに近くおられ』,彼らが助けを必要とするときに速やかにこたえてくださいます。―詩 145:18。
ヘブライ11章6節
6 そして,信仰がなければ,[神]を十分に喜ばせることはできません。神に近づく者は,[神]がおられること,また,ご自分を切に求める者に報いてくださることを信じなければならないからです。
詩篇145編18節
18 エホバは,ご自分を呼び求めるすべての者,
ご自分を真実に呼び求めるすべての者の近くにおられます。
10 神にはばかりなく語るにはなぜ信仰が必要ですか。
11 義者の祈りに耳を開かれるかたを呼び求める際に,わたしたちは,こちらがお願いする前からそのかたがわたしたちの必要に十分気づいておられることを思い起こします。食物,飲み物,衣服について,神ご自身のみ子は,「あなたがたの天の父は,あなたがたがこれらのものをすべて必要としていることを知っておられるのです」と言われました。(マタイ 6:32)神はこれらのものについてすべてのことをご存じであり承知しておられますが,それでもわたしたちが自分に必要な物や欲しい物を神に願い求めることを望んでおられます。わたしのもとに来なさい,という神の変わらない勧めを考えるなら,日常の必需品を願い求めたりして神を煩わせるべきではないという見方をすることは,感謝の念の欠如を示すことになるでしょう。『見たまう神』は人間の後見人ですから,地に住む良い者の上にも悪い者の上にも目を注いでおられます。そして神は,ご自分を愛する者たちを捨てて,すべての問題を自分で解決させるようなことはしておられません。それどころかエホバ神は,ご自分により頼む者たちが,神を自分の父また避難所,力の源と認めていることを自分のことばで言い表わすのを聞いて喜ばれるにちがいありません。―創世 16:13。詩 46:1。箴 15:3。
マタイ6章32節
32 これらはみな,諸国民がしきりに追い求めているものなのです。あなた方の天の父は,あなた方がこれらのものをすべて必要としていることを知っておられるのです。
創世記16章13節
13 そこで彼女は,エホバつまり自分に語りかけておられた方の名を,「あなたはご覧になる神です」と呼ぶようになった。彼女は,「わたしを見ていてくださる方を,わたしはここで実際に見たのでしょうか」と言ったのである。
詩篇46編1節
46 神はわたしたちのための避難所,力であり,
苦難のときに容易に見いだされる助けである。
箴言15章3節
3 エホバの目はあらゆる場所にあって,悪い者と善い者とを見張っている。
11(イ)神はわたしたちの必要をご存じですか。(ロ)ではなぜそれらについて祈らねばならないのですか。
12 信仰のあまりない人々は,神のことを,独力で物事を行なうように人類を放置した不在者と考えるかもしれません。また,祈りは一種の自己欺まんであると思うかもしれません。さらには,祈りは,自分の考えを霊的な方向に向けて平安な思いを保つための心理的な助けもしくは支えである,と考える人たちもいるでしょう。しかしながら,祈りには感情的経験をはるかに超えたものがあります。あなたは自分自身に語っているのではなく,生きておられる天の父にお話ししているのです。天の父は「わたしたちが求めまた思うところのすべてをはるかに越えてなしうる」かたです。(エフェソス 3:20)決定を下さねばならないとき,それが大きな決定であろうと小さな決定であろうと,行くべき道を明らかにしうるのはエホバの霊と導きです。神は独立自足のかたで,欠けたものは一つもないかたですが,ご自分の民の必要に大いに共感されます。そして彼らは『日々の生活の思い煩いをすべて神にゆだねる』よう勧められています。『神は彼らを顧みてくださるからです』―ペテロ第一 5:7。
エフェソス3章20節
20 では,わたしたちのうちに働かせておられる力により,わたしたちが求めまた思うところのすべてをはるかに超えてなしうる方に,
ペテロ第一5章7節
7 同時に,自分の思い煩いをすべて[神]にゆだねなさい。[神]はあなた方を顧みてくださるからです。
12(イ)ある人々は祈りについてどんなまちがった考えを持っていますか。(ロ)しかし,祈ることはなぜ有益ですか。
もっと親に話すように、近づいていいのね
自分なんかのために、忙しい時間を割いてもらったら
悪いなんて思わなくていいのね
甘えるのへたなんだよね
もっと心から祈れるようになりますように
心が整っていきますように
霊の実が育ちますように
子供たちともよい距離が保てますように