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怒りは主要な特質ではない しかし,エホバ神は『怒ることに遅く,愛ある親切に満ちて』おられます。(出 34:6; 民 14:18)人はもしエホバを恐れ,義を行なうよう努力するなら,エホバの憐れみを受けます。というのは,全能者は人間が不完全さを受け継いでいることを認め,それゆえに,またイエスの犠牲に基づいてその人に憐れみを示されるからです。(詩 103:13,14; 創 8:21。ゼパ 2:2,3も参照。)神はみ名のために,またご自分の選ばれた民に対する目的を遂行するために怒りをとどめられます。(イザ 48:9; ヨエ 2:13,14)エホバの怒りは,本当に神に仕え,自分の罪を認めて悔い改める人たちからはやがて過ぎ去ります。(イザ 12:1; 詩 30:5)エホバは怒りの神ではなく,幸福の神であり,近づき難い方ではなく,正しい方法でみ前に近づく人たちに対して快い,平和で穏やかな方であられます。(テモ一 1:11; 詩 16:11。啓 4:3と比較。)このことは,異教の偽りの神々が持つとされ,それらの神々の像に表わされている,怒り,無慈悲,残酷といった特徴とは対照的です。

出エジプト34章6節
6 そしてエホバは彼の顔の前を過ぎ行きつつ,こう宣明された。「エホバ,エホバ,憐れみと慈しみに富み,怒ることに遅く,愛ある親切と真実とに満ちる神,

民数記14章18節
18 『エホバ,怒ることに遅く,愛ある親切に満ち,とがと違犯を赦す者。しかし,処罰を免れさせることは決してせず,父のとがに対する処罰を子に,三代,四代に及ぼす』と言われたのです。

詩篇103編13.14節
13 父が自分の子らを憐れむように,
エホバはご自分を恐れる者たちを憐れんでくださった。

14 [神]ご自身がわたしたちの造りをよくご存じであり,
わたしたちが塵であることを覚えておられるからだ。

創世記8章21節
21 それでエホバは安らぎの香りをかぎはじめられた。そしてエホバはその心にこう言われた。「二度と再びわたしは人のゆえに地の上に災いを呼び求めることはしない。人の心の傾向はその年若い時から悪いからである。二度と再びわたしは自分が行なったとおりにあらゆる生き物を撃つことはない。

ゼパニヤ2章2.3節
2 法令が[何も]産み出さないうち,[その]日がもみがらのように過ぎ去ら[ないうち],エホバの燃える怒りがあなた方に臨まないうち,エホバの怒りの日があなた方に臨まないうちに,3 地の柔和な者たち,[神]の司法上の定めを守り行なってきたすべての者たちよ,エホバを求めよ。義を求め,柔和を求めよ。恐らくあなた方はエホバの怒りの日に隠されるであろう。

イザヤ48章9節
9 わたしはわたしの名のために怒りをとどめ,わたしの賛美のためにあなたに対して自分を制し,あなたが断ち滅ぼされることのないようにする。

ヨエル2章13.14節
13 そして,あなた方の衣ではなく,心を裂け。あなた方の神エホバに帰れ。[神]は慈しみと憐れみを持ち,怒ることに遅く,愛ある親切に富んでいるからである。そして,その災いに関して必ず悔やむのである。14 [神]が身を翻してまさに悔やみ,その後に祝福を,あなた方の神エホバのための穀物の捧げ物や飲み物の捧げ物を残さ[ない]かどうかをだれが知っているだろうか。

イザヤ12章1節
12 そして,その日,あなたは必ず言うであろう,「エホバよ,わたしはあなたに感謝します。あなたはわたしに対していきり立たれました[が],あなたの怒りは徐々に去り,あなたはわたしを慰めてくださいました。

詩篇30編5節
5 その怒りの下にあるのは,つかの間であり,
その善意の下にあるのは,生涯に及ぶからである。
夕方には泣き悲しむことが宿っても,朝には歓呼の声がある。

テモテ第一1章11節
11 幸福な神の栄光ある良いたよりに基づく健全な教えに反する事柄のために公布されているのです。そしてわたしはその[良いたより]を託されました。

詩篇16編11節
11 あなたは命の道筋をわたしに知らせてくださいます。
満ち足りた歓びがあなたのみ顔と共にあります。
あなたの右には快さが永久にあるのです。

啓示4章3節
3 そして,座っておられる方は,見たところ碧玉,また赤色の宝石のようであり,み座の周りには,見たところエメラルドのような虹が[ある]。

神は、わたしが淫行を犯すと、
確かに正されました。
その怒りは、燃えるばかりでした。
それほど清い神なのですね。
娘が、ネット恋愛をするまで、
わたしは、神の気持ちがわかりませんでした。
淫行を嫌っていらつしゃるのはわかっていましたが、
わたしにとっては押し付けの律法でしかありませんでした。
まして、お酒を飲んで意識がないような状態でいつもそうなるので、
わたしは自分の罪として、受け止めることができなかった。
娘の問題を通して、親がどんな気持ちで、
危なっかしい愛する子供の態度を
見守らなければいけないのか。
また、娘の相手への憤りなども理解することができました。
わたしは本当に愚か者ですから、
痛い思いをしないとわからないのですね。