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状況をありのままに受け入れる

十代の若者がうつ病であるとしても,そのことを恥ずかしく思わないでください。実のところ,うつ病は非常にりっぱな若者を急に襲うことがあるのです。神に仕えようと最善を尽くして奮闘していた人々でも,年齢にかかわりなく,つらい気持ちに悩まされることがある,ということを聖書も示しています。忠実なヨブのことを考えてください。神に見捨てられたと感じ,生きることが嫌になったという気持ちを言い表わしました。(ヨブ 10:1; 29:2,4,5)ハンナも神の僕でしたが,大いに「魂が苦しんで」,食事ものどを通らないほどでした。(サムエル第一 1:4‐10)さらに,敬虔な人ヤコブは,息子の死を幾日も悼み悲しみ,『慰めを受け入れようとはしませんでした』。息子のいる墓に自分も行きたいとまで言いました。(創世記 37:33‐35)ですから,感情面の苦しみは,必ずしも何かの霊的な欠点から来るわけではありません。

ヨブ記10章1節
10 「わたしの魂は自分の命に対して確かに嫌悪を感ずる。
わたしは自分についての気遣いを漏らそう。
わたしは自分の魂の苦しみのうちにあって語ろう!

ヨブ記29章2節
2 「ああ,わたしが昔の太陰の月々のときのようであったらよいのに。
神がわたしを守っておられた日々のときのように。

ヨブ記29章4.5節
4 わたしがわたしの盛りの日々にあったときのように。
そのとき,神との親密さがわたしの天幕のもとにあった。
5 そのとき,全能者はなおもわたしと共におられ,
[そのとき]わたしの従者はわたしの周りにいた!

サムエル第一1章4~10節
4 ときに,エルカナが犠牲をささげる日となり,彼は妻ペニンナとそのすべての息子や娘たちに[多くの]受け分を与えた。5 しかし,ハンナにはただ一つの受け分を与えた。それでも,彼はハンナを愛していたが,エホバは,彼女の胎をふさいでおられた。6 それで,彼女と張り合う妻も,エホバがその胎をふさがれたことで,当惑させようとして彼女をひどく悩ませた。7 そして彼女は,エホバの家に上って行く度に,年ごとにそのようにした。彼女がそのように悩ませたので,[ハンナ]は泣いて,食事をしようとしなかった。8 そこで夫エルカナは言った,「ハンナ,なぜ泣くのか。なぜ食事をしないのか。どうしてあなたの心は痛むのか。わたしはあなたにとって十人の息子よりも勝っているではないか」。

9 それから,彼らがシロで食べて,飲んだ後,ハンナは立ち上がった。そのとき,祭司エリはエホバの神殿の戸柱の傍らの席に座っていた。10 そして彼女は魂が苦しんでいたので,エホバに祈ってひどく泣きだした。

創世記37章33~35節
33 それで彼はそれを調べてゆき,そののち叫んで言った,「これは我が子の長い衣だ! たちの悪い野獣がむさぼり食ったに違いない! ヨセフはきっとかき裂かれたのだ!」34 そう言うと,ヤコブは自分のマントを引き裂き,腰に粗布を着け,息子のために幾日も悼み悲しんだ。35 それで,すべての息子たち,すべての娘たちが次々に立ち上がっては慰めたが,彼は慰めを受け入れようとせず,しきりにこう言うのであった。「わたしは嘆きながら我が子のもとへ,シェオルへ下るのだ!」 こうして父は彼のために泣きつづけた。

けれども,子どものうつ病は親にとって大きな痛手です。うつ病の子どもを持つ母親はこう語ります。「感情面で緊張が絶えません。心配したり,びくびくしたり,いらだったり,かっとなったりで,疲れ切ってしまいます」。別の母親もこう打ち明けます。「外出先で,十代の娘さんと一緒に買い物をしている母親の姿などを見かけると,胸が張り裂けそうになります。わたしは一緒にそのようなことができなくなった,もう二度とできないだろうなどと思うのです」。

そのように感じるのは,自然なことです。でも,圧倒されそうに感じることもあるかもしれません。そのようなときは,信頼できる友に胸の内を語るのはいかがでしょうか。箴言 17章17節には,「真の友はどんな時にも愛しつづけるものであり,苦難のときのために生まれた兄弟である」とあります。さらに,祈りをおろそかにしないでください。聖書は,重荷を神にゆだねるなら,神が支えてくださる,と保証しています。―詩編 55:22。

箴言17章17節
17 真の友はどんな時にも愛しつづけるものであり,苦難のときのために生まれた兄弟である。

詩篇55編22節
22 あなたの重荷をエホバご自身にゆだねよ。
そうすれば,[神]が自らあなたを支えてくださる。
[神]は義なる者がよろめかされることを決してお許しにならない。

わたしは、教育ままだったので、
息子が不登校になり、うつ病がひどくなって、
「僕なんて生まれてくるんじゃなかった。
人に迷惑をかけるために生まれてきたようなもんじゃないか!」
という、泣き叫びの声をいまだに忘れない。
あれから14年もたっているのに、
わたしはまだびくびくしているのだ。
何もしてあげられない母親。
無力な母親。
立教大学の講堂で、不登校の子たちの集まりが会った。
開口一番、司会者は、
「みんなー、不登校になってよかったねー」
というものだった。
いまだにその意味がワケ⊂(´-` ) ワカ( ´-`)つ ラン♪⊂(´ヘ`)つ。
ただ、そのとき学んだのは、学校にイーケナインダ~イケナインダ~・・・d( ̄□ ̄( ̄△ ̄)b~~♪だけで、
よくお手伝いをしてくれたり、愛や平和、その他の人格が成長するのが止まったわけじゃないということだった。
この日から、我が家の加点主義の戦いは火蓋を落とされた。
できたことを数え上げ、拍手し、認めて、満足し、感謝するというものだった。
わたしたちは今もなお、古い人格を脱ぎ捨てて、
新しい人格を身につける努力をしている。