
ヨハネ第一4章8節
8 愛さない者は神を知るようになっていません。神は愛だからです。
ヨブ記12章13節
13 知恵と力強さは,[神]と共にあり,
助言と理解力も[神]にある。
ヨブ記37章23節
23 全能者については,わたしたちはこれを見いださなかった。
[神]は力において高められている。
そして,公正と義の豊かさとを軽視なさることはない。
民数記35章16~18節
16 「『さて,もし鉄の道具で人を打ち,そのために彼が死んだのであれば,その者は殺人者である。その殺人者は必ず死に処されるべきである。17 また,小さな石であっても,それによって人が死に得るほどのもので打ち,そのために彼が死んだのであれば,その者は殺人者である。その殺人者は必ず死に処されるべきである。18 また,小さな木の道具であっても,それによって人が死に得るほどのもので打ち,そのために彼が死んだのであれば,その者は殺人者である。その殺人者は必ず死に処されるべきである。
民数記35章30~33節
30 「『魂を打って死に至らせた者は皆,証人たちの口により殺人者として殺されるべきであるが,ただ一人の証人が彼を責める証言を行なってその魂を死に至らせることがあってはいけない。31 またあなた方は,死に価する殺人者の魂のための贖いを受け取ってはならない。その者は必ず死に処されるべきだからである。32 また,避難都市に逃れた者のための贖いを受け取って,大祭司の死の前に再びその土地に住まわせてもならない。
33 「『こうしてあなた方は自分のいる土地を汚してはならない。血が土地を汚すのである。そして,土地に対しては,その上に流された血に関し,それを流した者の血による以外に贖罪はないのである。
申命記19章4~7節
4 「そしてこれは,人を殺した者がそこに逃れて生きるべき場合である。すなわち,知らずに自分の仲間を打ち,それ以前にその者を憎んではいなかったとき,5 また,まきを集めるため仲間の者と共に森に入り,斧で打って木を切ろうとその手を挙げたところ,鉄の部分が木の柄から外れ,それが仲間の者に当たって彼が死んだとき,その当人はこれらの都市の一つに逃れて生きなければならない。6 そうしなければ,血の復しゅう者は,その心が熱するゆえに,その殺人者の跡を追い,その者に追いつくことになるかもしれない。その道は長いからである。そうして,彼の魂を打って死なせることになるかもしれない。しかし,その者に対して死の宣告はないのである。以前からその人を憎んでいたのではないからである。7 そのために,『あなたは自分のために三つの都市を取り分ける』とわたしは命じているのである。
エホバの怒りは,公正が十分に成し遂げられた時に初めて静まる,もしくは治まると言えます。神の憤りはあらゆる不義に向けられます。神は不義を容認したり,当然処罰されるべき者に処罰を免れさせたりなさいません。(出 34:7; ハバ 1:13)しかし,人類の当然受けるべき苦痛と懲罰をイエス・キリストが負われたので,信仰を働かせるようになる人々に対しては,神の怒りもキリストのその犠牲に基づいて和らげられ,とどめられます。(イザ 53:5)この取り決めによってエホバ神はご自身の義を示し,「イエスに信仰を持つ人を義と宣する際にもご自分が義にかなうように」することがおできになります。(ロマ 3:26)このようにして公正は十分に満たされ,しかも神の側には憐れみを差し伸べるための根拠があることになります。不従順な人はだれでも自分の上に神の憤りをとどめていることになります。(ヨハ 3:36)しかし,人は信仰を働かせるとき,イエス・キリストの犠牲によって神の憤りから救われるのです。―テサ一 1:10。
出エジプト記34章7節
7 愛ある親切を幾千[代]までも保ち,とがと違犯と罪とを赦す者。しかし,処罰を免れさせることは決してせず,父のとがに対する処罰を子や孫にもたらして,三代,四代に及ぼす」。
ハバクク1章13節
13 あなたは悪を見るには目があまりに浄く,難儀を見ていることがおできになりません。あなたが不実に振る舞う者たちを見ておられるのはどうしてですか。邪悪な者が自分より義にかなった者を呑み込んでいるのにただ沈黙しておられるのは[どうしてですか]。
イザヤ53章5節
5 しかし,彼はわたしたちの違犯のために刺し通され,わたしたちのとがのために打ち砕かれるのであった。わたしたちの平安のための懲罰が彼に臨み,彼の傷ゆえにわたしたちのためのいやしがあった。
ローマ3章26節
26 こうして今の時期にご自身の義を示し,イエスに信仰を持つ人を義と宣する際にもご自分が義にかなうようにされました。
ヨハネ3章36節
36 み子に信仰を働かせる者は永遠の命を持っている。み子に従わない者は命を見ず,神の憤りがその上にとどまっているのである。
テサロニケ第一1章10節
10 またそのみ子の天から[の現われ]を待つようになったかを,彼ら自身が語り伝えているからです。その[み子]は[神]が死人の中からよみがえらせた方,すなわちイエスであって,来たらんとする憤りからわたしたちを救い出してくださる方なのです。
不従順な人はだれでも自分の上に神の憤りをとどめている
ひーーーーーーーー。
本当にイエスの贖いがなかったらねとっくに滅ぼされているのですね。
それにしても、自分をあゆみを導くことさえ、
本当に難しいですね。
悲しくなってしまいます。