
2,3 人間にはその存在のはじめから,不従順のゆえに何が生じてきましたか。現状はどうですか。
4 辞書は,従順をこう定義しています。「服従する行為,もしくは,服従しているという事実,または,服従している状態」。服従するとは次のとおりです。「支配もしくは制御されていること。何かの指導や働きなどに従うこと。理性に従う,引力の法則に従う」。このことを聖書は次のように表現しています。「事の全体のきする所を聴べし 云く 神を畏れその誡命を守れ これは諸の人の本分たり」。(伝道 12:13)恐れの気持ちから神に服従するということに異議を唱える人がいます。にもかかわらず,人は引力に関する諸法則に従い,しかも,短い一生涯の日々,恐れの気持ちから,そうした自然の力をおかさないようにします。わたしたちは,それを当然のこととして受け入れ,そうすることを生活の一部としています。だれかがそれについて不平をもらすなどということは,まず耳にしません。しかも,そうした自然の力は,容しゃなく厳正に作用しているのです。引力の働きを理解すると同様に,神のご要求を理解する人は,詩篇 112篇1節の次のことばが,自分の態度を言い表わしていることに気づかれるでしょう。「エホバを畏れてそのもろもろの誡命をいたく喜ぶものはさいはひなり」。
伝道の書12章13節
13 すべてのことが聞かれたいま,事の結論はこうである。[まことの]神を恐れ,そのおきてを守れ。それが人の[務めの]すべてだからである。
詩篇112編1節
112 あなた方はヤハを賛美せよ!
? [アーレフ]
エホバを恐れる人は幸いである。
? [ベート]
彼はそのおきてを大いに喜んだ
4(イ)従順を定義しなさい。(ロ)恐れは,神に対する従順ということと,どんな関係にありますか。
5 エホバ神はご自分の民に従順を要求しておられます。エホバは,さばき人サムエルを用いて,不従順なサウル王に対し,次のことを告げさせました。「順ふことは犠牲にまさり聴くことは牡羊の脂にまさるなり,そは違逆は魔術の罪のごとく抗戻は虚しき物につかふるごとく偶像につかふるがごとし汝エホバのことばを棄たるによりエホバもまた汝をすてゝ王たらざらしめたまふ」。(サムエル前 15:22,23)イスラエル民族は,従順であることを要求されました。(申命 10:12,13)イエスも同じでした。(ヘブル 5:8)使徒たちも柔順に従いました。(使行 5:29)幾千人もの忠実な神のしもべたちは,あらゆる状況の下で神に対する従順を保ってきました。
サムエル第一15章22.23節
22 するとサムエルは言った,「エホバは,エホバの声に従うことほどに焼燔の捧げ物や犠牲を喜ばれるでしょうか。ご覧なさい,従うことは犠牲に勝り,注意を払うことは雄羊の脂肪に[勝り]ます。23 反逆は占いの罪と同じで,厚かましく出しゃばることは怪異な力やテラフィム[を用いること]と同じだからです。あなたはエホバの言葉を退けたので,[神]もあなたを王としての[立場]から退けられます」。
申命記10章12.13節
12 「ゆえに今,イスラエルよ,あなたの神エホバが求めておられることは,あなたの神エホバを恐れてそのすべての道を歩み,[神]を愛し,心をつくし魂をつくしてあなたの神エホバに仕えること,13 わたしが今日命じるエホバのおきてと法令をあなたの益のために守ること,ただそれだけではないか。
ヘブライ5章8節
8 彼はみ子であったにもかかわらず,苦しんだ事柄から従順を学ばれました。
使徒5章29節
29 それに答えてペテロと[ほかの]使徒たちは言った,「わたしたちは,[自分たちの]支配者として人間より神に従わねばなりません。
5 さばき人サムエルは,どのように従順を強調しましたか
6 従順はどこにその源を発していますか。クリスチャンにとっての従順は,目上の人から言われたので,ある事をするというような,子どもの場合の従順と同じですか。従順とは,クリスチャンだけが持っている態度ですか。すべての人が罪のうちに生まれている以上,『不法な』現代人の中で,実際問題として,従順を実践できますか。(マタイ 24:12)神のことば聖書を調べれば,その答えのみならず,多くの励みを与える助言をもくみ取ることができます。
マタイ24章12節
12 また不法が増すために,大半の者の愛が冷えるでしょう。
6 従順に関してどんな質問が生じますか。
わたしは不従順な世の霊に犯されているのでしょうか?
それとも、罪にひかれていくのでしょうか?
従順さを身につけたいですね。
何年もかかることでしょう。
でも、少しずつでも進歩していきたいと思っています。