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あなたに必要な究極の関係

真に霊的な見方を持つには,神に近づき,み言葉聖書に親しむよう努めなければなりません。神を信じ,心から神に祈るなら,生活は意味のあるものになります。そうなれば,たとえ他の人との関係が崩れても,独りぼっちになることはなく,孤独に追い込まれることはありません。フランクルが述べたとおり,苦しみに意味があれば耐えることができます。喜びのもととなる場合さえあります。ある人は人間の本質を観察して,「杭に掛けられる殉教者は,王座にいる王もうらやむほど幸福なのかもしれない」と述べました。

キリストの使徒たちは人から迫害されていても,エホバから来る喜びを感じていました。彼らにとって,そのような苦しみには重要な意味があったのです。「義のために迫害されてきた人たちは幸いです。天の王国はその人たちのものだからです。人々がわたしのためにあなた方を非難し,迫害し,あらゆる邪悪なことを偽ってあなた方に言うとき,あなた方は幸いです。歓び,かつ喜び躍りなさい。天においてあなた方の報いは大きいからです。人々はあなた方より前の預言者たちをそのようにして迫害したのです」。(マタイ 5:10‐12)同じような反応が,使徒 5章40節と41節にも記録されています。「みんなは……使徒たちを呼び出してむち打ち,イエスの名によって語るのをやめるようにと命じてから,彼らを去らせた。そのため,これらの者は,彼の名のために辱められるに足る者とされたことを歓びつつ,サンヘドリンの前から出て行った」。

マタイ5章10~12節
10 「義のために迫害されてきた人たちは幸いです。天の王国はその人たちのものだからです。

11 「人々がわたしのためにあなた方を非難し,迫害し,あらゆる邪悪なことを偽ってあなた方に言うとき,あなた方は幸いです。12 歓び,かつ喜び躍りなさい。天においてあなた方の報いは大きいからです。人々はあなた方より前の預言者たちをそのようにして迫害したのです。

使徒5章40.41節
40 そこでみんなは彼[のことば]に注意を向け,使徒たちを呼び出してむち打ち,イエスの名によって語るのをやめるようにと命じてから,彼らを去らせた。

41 そのため,これらの者は,彼の名のために辱められるに足る者とされたことを歓びつつ,サンヘドリンの前から出て行った。

世間から見る幸せが幸せじゃないような気がする。
わたしは、とても寂しがり屋で、
寂しくないためなら、お酒を使い、薬を使い、
男を使って生きてきた。
でも、今それらが風をおうようなものであったことに気づく。
栄枯盛衰の如し、
花は咲き、花は枯れる。
今、わたしの友達になっている人たちは、
本当の意味での親友だ。
自助グループのリアル友300名。
彼らは決して裕福ではない。
親友4名。
本当に死にたくなったとき、夜中でも電話できる。
そんな人たちに囲まれて、
それでも寂しさを感じてしまうのは、
神との関係ができていないのかな?
神はいつでもそばにいてくださると信じている。
でも、時たま、本当に消えてなくなりたくなるほど、
しんどく、世界でたった一人だと感じてしまう。
これはもう、病気の症状なのかもしれない。
わたしにできることは、同じように寂しさを感じ、
死にたい人がいたら、少しでもいいから、
話を聞かせてもらいたい。
そして、その人に心のゆとりができることを
祈ろう。