イメージ 1

警告の言葉

興味深いことに,聖書は,自分を過度に高く評価しないようしばしば警告しています。なぜでしょうか。それは恐らく,わたしたちのほとんどが,自信を得ようとして度を過ごす傾向があるからでしょう。自己中心的になって,自分の技術や能力を誇張する人は少なくありません。他の人を見下げて自分を高める人もいます。

1世紀にローマの会衆は,ユダヤ人と異邦人(非ユダヤ人)の間の激しい対立に悩まされていました。そこで使徒パウロは異邦人たちに,彼らが神の恵みという立場に「接ぎ木」されたのは,ただ神の「ご親切」によるものであることを思い出させました。(ローマ 11:17‐36)独善的なユダヤ人も,自分自身の不完全さに直面しなければなりませんでした。「というのは,すべての者は罪をおかしたので神の栄光に達しないからで(す)」と,パウロは述べています。―ローマ 3:23。

ローマ11章17~36節
17 しかしながら,枝のうちのあるものが折り取られ,他方あなたが,野生のオリーブでありながらその[枝]に交じって接ぎ木され,そのオリーブの肥えた根にあずかる者となっていても,18 それらの枝に対して勝ち誇ってはなりません。しかし,たとえそれらに対して勝ち誇るとしても,あなたが根を支えているのではなく,根があなたを[支えている]のです。19 ここであなたは言うでしょう,「わたしが接ぎ木されるために枝は折り取られたのだ」と。20 そのとおりです! 彼らは信仰の欠如のゆえに折り取られ,一方あなたは信仰によって立っているのです。高ぶった考えを抱かず,むしろ恐れの気持ちでいなさい。21 神が本来の枝を惜しまなかったのであれば,あなたを惜しまれることもないからです。22 それゆえ,神のご親切と厳しさとを見なさい。倒れた者たちに対しては厳しさがあります。一方あなたに対しては神のご親切があります。ただし,あなたがそのご親切のうちにとどまっていればのことです。そうでないと,あなたも切り落とされることになります。23 また彼らも,信仰の欠如のうちにとどまっていなければ,接ぎ木されることになるのです。神は彼らを再び接ぎ木することができるからです。24 というのは,あなたが本来野生のオリーブの木から切り取られ,自然に反して園のオリーブの木に接ぎ木されたのであれば,まして,本来それに属するこれらのものは自らのオリーブの木に接ぎ木されるはずだからです。
25 兄弟たち,あなた方が[ただ]自分の目から見て思慮深い者とならないために,わたしはあなた方がこの神聖な奥義について無知でいることがないようにと願うのです。すなわち,諸国の人たちが入って来て[その人たちの]数がそろうまで,感覚の鈍りがイスラエルに部分的に生じ,26 こうして全イスラエルが救われることです。まさに書かれているとおりです。「救出者がシオンから出て,不敬虔な習わしをヤコブから遠ざける。27 そして,わたしが彼らの罪を取り去る時,これが彼らに対するわたしの契約である」。28 確かに,良いたよりについて言えば,彼らはあなた方の益のために敵となっていますが,[神の]選びについて言えば,彼らはその父祖たちの益のために愛されています。29 神の賜物と召しとは,[神]が悔やまれる事柄ではないからです。30 あなた方がかつては神に不従順で,今は彼らの不従順のゆえに憐れみを受けているのと同じように,31 彼らがいま不従順になってあなた方に憐れみが及んでいても,それは彼ら自身も今や憐れみを受けるためなのです。32 神は彼らすべてを共に不従順のうちに閉じ込め,こうしてそのすべてに憐れみを示そうとされたのです。

33 ああ,神の富と知恵と知識の深さよ。その裁きは何と探りがたく,その道は[何と]たどりがたいものなのでしょう。34 「だれがエホバの思いを知るようになり,だれがその助言者となったであろうか」,35 また,「だれがまず[神]に与えてその者に報いがされなければならないようにしただろうか」とあるのです。36 すべてのものは[神]から,また[神]により,そして[神]のためにあるからです。[神]に栄光が永久にありますように。アーメン。

ローマ3章23節
23 というのは,すべての者は罪をおかしたので神の栄光に達しないからであり,

パウロは彼らから自尊心を取り去ることはしませんでしたが,こう言いました。「わたしは,自分に与えられた過分のご親切によって……すべての人に言います。自分のことを必要以上に考えてはなりません」。(ローマ 12:3)ですから,ある程度の自尊心を持つことは「必要」ですが,この点で極端になるべきではありません。

ローマ12章3節
3 わたしは,自分に与えられた過分のご親切によって,あなた方の中のすべての人に言います。自分のことを必要以上に考えてはなりません。むしろ,神が各々に信仰を分け与えてくださったところに応じ,健全な思いを抱けるような考え方をしなさい。

アラン・フロム博士はこう観察しています。「自分について適正な考えを持つ人は,悲しみに沈むことはなく,かと言って喜びで有頂天になる必要も感じない。……その人は悲観的ではないが,その楽観的な考えも制御されないわけではない。無謀でもなければ,特定の恐れを全く抱かないわけでもない……常にすばらしい成功を収めるというわけではないが,何をやっても失敗するというわけでもないことをその人は悟っている」。

ですから慎み深くなければなりません。「神はごう慢な者に敵し,謙遜な者に過分のご親切を施される」のです。(ヤコブ 4:6)自分の長所を認めましょう。しかし欠点も無視してはなりません。むしろ欠点を改善する努力を払ってください。それでも時々自分を信じかねる時があるでしょう。しかし,自分の価値や,神があなたを気遣っておられるということを決して疑う必要はないのです。「人が神を愛しているなら,その人は神に知られている」からです。―コリント第一 8:3。

ヤコブ4章6節
6 しかし,[神]が与えてくださる過分のご親切はそれに勝るのです。ですから,こう述べられています。「神はごう慢な者に敵し,謙遜な者に過分のご親切を施される」。

コリント第一8章3節
3 しかし,人が神を愛しているなら,その人は[神]に知られているのです。

□ なぜある若者たちは自分について消極的な考えを持っていますか。そのように考える若者の気持ちが分かりますか

□ あなたならご両親の要求をどのように扱いますか

□ 自尊心を培うどんな方法がありますか

□ 自尊心を培う際にどんな行き詰まりがありますか

□ 自分を過度に高く評価しないよう注意することはなぜ大切ですか

[98ページの拡大文]

自尊心は「人間存在に尊厳を付与する要素」と言われてきた

[99ページの図版]

あなたはがっかりしたり,劣等感を感じたりしますか。解決策はあります

[101ページの図版]

自慢家やほら吹きになることは,自尊心の弱さの解決にはならない

[102ページの図版]

自分は何一つまともにできないと思うことがありますか

過度に考えすぎない。
おかげおかげのげで暮らすって言葉がありますよね。
ことごとく感謝と祈りをささげていきたいですね。
でも、まだ祈れないのです。
なさけなーーーー