
寂しいということと独りでいることには違いがあります。だれでもたいていの人はときに独りでいることを楽しむものです。聖書は,イエス・キリストも,祈りをするため,また弟子たちといっしょに「少し休(む)」ため,ときおり「寂しい場所」を探されたことを示しています。(マタイ 14:13。マルコ 1:35; 6:31)かなりの時間独りで過ごしていながら寂しく感じない人もいます。
また,だれでも時おり寂しく感じる場合があるということも真実です。精神病医テオドル・I・ルビンは寂しさという感情について次のように述べました。「こうした感情がときに去来することは生活上の事実である。この事実を認めず,常に幸福感にひたっていられると考えるなら,ただ失望やつらい気持ちに終わることになろう」。
しかし,そうではあっても,定常的な寂しさに悩まされている人が多くいます。それは親に落ち度のある場合もあります。どうしてですか。心理学者アラン・フロムはこう説明します。「多くの親は夫婦どうしで語り合うことができず,子どもの中に同じ態度を生むような雰囲気を作っている」。
他の人たちとの個人的な関係を十分に持てない人の多い都会の生活も寂しさの原因になっています。また,金銭面で富もうとする気持ちもこの感情を強めるものの一つです。自分の持ち物のことに過度にこだわって,他の人から身を引くようになるからです。
病気,老齢,仕事上の特別の割当てその他の理由で住み慣れた環境から地理的に離れて生活することも人に寂しい気持ちをいだかせることがあります。また,視力や聴力を失ったり,土地の言語を理解できないといったことも寂しさの原因となりえます。
マタイ14章1313節
それを聞いたイエスは,独りになるために,そこから舟で寂しい所に退かれた。ところが,群衆はそのことを聞きつけ,諸都市から徒歩で彼のあとに付いて来た。
マルコ1章35節
35 それから,朝早くまだ暗いうちに,[イエス]は起きて外に出,寂しい場所へ行って,そこで祈りを始められた。
マルコ6章31節
31 すると[イエス]はこう言われた。「さあ,あなた方は自分たちだけで寂しい場所に行き,少し休みなさい」。来たり去って行ったりする者が多く,食事をする暇もなかったからである。
病気からくる孤独感なのかな?
ないものねだりなのかな?
ごともたち二人がいると、
ああ一人になりたいと思う時間があるなんだけど、
今は、息子が隣で寝ているので、
一人で布団をかぶって泣きました。
どう対処したらいいのかな?