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信仰治療―それは害をもたらしますか

癒しを起こす力はいつの場合でも働くわけではない,と信仰治療師たちは語っています。想像がつくように,そのことは問題をもたらしてきました。病人が信仰治療師にすべての望みを託していたのに,待望の奇跡が起きなかったため,深刻な事態の生じたことが時々ありました。別の方法で治療すれば回復したと思われる病気で人が死亡した例もあります。

恐らくこの点を考慮してのことでしょう,今では信仰治療を受けている間も医師と連絡を保つよう“患者”に勧める信仰治療師が少なくありません。自分たちは医師を,治療を行なう競争相手と見るのではなく,パートナーとみなしている,とそれらの信仰治療師たちは語っています。この種の信仰治療に対しては,心身相関作用による良い影響が患者に及ぶ可能性があるとして,慎重ながらも好意的な態度を取る医師が一部にいます。

ウィリアム・A・ノーラン博士は,長期にわたって信仰治療を調べた後,別の問題点を指摘しました。癒しがなされたとされる事例を幾つか追跡調査したところ,かなりの人が苦々しい思いを抱いていることが判明したのです。病気は治ったと告げられたり,そのように思い込まされたりしましたが,その後も同じ病気が残り,時には病状が悪化することもありました。多くの人は,自分はだまされたと感じています。

では,引き続き主治医と接触を保つようにとの指示に従い,期待している癒しが起きないような事態にも備えをしている人の場合はどうでしょうか。そのようにしていても信仰治療師の所に行くのはよくないでしょうか。その答えを得るには,宗教的な面を考慮してみる必要があります。

布団から出られず、何もできなかったわたしが
今こうして自分の長年の肉体のとげについて
整理し、調べていく力が与えられていることを
不思議に思います。
いわしの頭も信心からということわざがありますが、
いわしの頭を崇拝したくはないですよね。
[壁]^▽^)キャッキャッキャッ