
アレグザンダーは大変憂うつでしたが,なんとか学校のクラスを教えていました。(3ページをご覧ください。)彼は受け持ちの生徒の幾人かが非常に重要な朗読の試験に受からなかったとき,自暴自棄になりました。妻のエスタはこう言っています。「夫は自分が落第したような気持ちでいました。私は夫に,あなたの落ち度ではないと言いました。完ぺきにうまくゆくはずがありません」。それでもアレグザンダーは,のしかかる罪悪感に思いがふさがれ,自殺してしまいました。多くの場合,罪悪感が過度に大きくなるのは,他の人たちの行ないに対する非現実的な責任をしょい込むからです。
子供の場合でも,親は子供の人生に強い影響を与えることはできますが,完全に制御できるわけではありません。もし何かがあなたの計画どおりにゆかないなら,こう自問してみてください。自分の制御できない,予見しえない出来事に遭遇しただろうか。(伝道の書 9:11)自分の身体的,精神的,感情的な力の範囲内で道理にかなった程度にできることをみな行なっただろうか。自分の期待が高すぎただけだろうか。もっと道理をわきまえ,慎み深くなるようにする必要があるだろうか。―フィリピ 4:5。
伝道の書9章11節
11 わたしは日の下で引き返して見たのであるが,速い者が競走を,あるいは力のある者が戦いを自分のものにするわけではない。また賢い者が食物を得るのでも,理解のある者が富を得るのでもなく,知識のある者たちが恵みを得るのでもない。なぜなら,時と予見しえない出来事とは彼らすべてに臨むからである。
フィリピ4章5節
5 あなた方が道理をわきまえていることがすべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。
しかし,もし自分が重大な間違いをし,しかも,それが自分の落ち度であるならどうでしょうか。自分をいつまでも精神的に打ちたたくなら,その間違いは変化するでしょうか。もし本当に悔い改めているのであれば,神は喜んで,それも「豊かに」許してくださるのではありませんか。(イザヤ 55:7)もし神が『いつまでも過ちを捜しつづけることはない』のであれば,そのような間違った行ないのことで精神的な苦しみの終身刑を自分に宣告すべきでしょうか。(詩編 103:8‐14)絶えず悲しい気持ちでいるのではなく,「悪を正す」ために積極的な手段を講じることは,エホバ神の喜ばれることであり,自分のうつ病を軽減することにもなります。―コリント第二 7:8‐11。
イザヤ55章7節
7 邪悪な者はその道を,害を加えようとする者はその考えを捨て,エホバのもとに帰れ。[神]はその者を憐れんでくださる。わたしたちの神のもとに[帰れ]。[神]は豊かに許してくださるからである。
詩篇103編8~14節
8 エホバは憐れみと慈しみに富み,
怒ることに遅く,愛ある親切に満ちておられる。
9 [神]はいつまでも過ちを捜しつづけることも,
定めのない時に至るまで憤慨しつづけることもない。
10 [神]はわたしたちの罪に応じてわたしたちを扱うことをされなかった。
わたしたちのとがに応じて,当然受けるべきものをわたしたちにもたらすこともされなかった。
11 天が地よりも高いように,
その愛ある親切はご自分を恐れる者たちに対して優れたものだからである。
12 日の出が日没から遠く離れているのと同じく,
[神]はわたしたちの違犯をわたしたちから遠くに離してくださった。
13 父が自分の子らを憐れむように,
エホバはご自分を恐れる者たちを憐れんでくださった。
14 [神]ご自身がわたしたちの造りをよくご存じであり,
わたしたちが塵であることを覚えておられるからだ。
コリント第二7章8~11節
8 したがって,わたしは,たとえ自分の手紙によってあなた方を悲しませたとしても,後悔しません。たとえ初めはそれを後悔したとしても,(その手紙が,ほんの少しの間とはいえ,あなた方を悲しませたことは分かります)9 今は歓んでいます。単にあなた方が悲しんだからではなく,悲しんで悔い改めたからです。あなた方は敬虔な態度で悲しみました。こうしてあなた方は,何事においてもわたしたちのために損傷を被ることはありませんでした。10 敬虔な悲しみは,悔いのない救いに至る悔い改めを生じさせるのです。しかし,世の悲しみは死を生み出します。11 ご覧なさい,あなた方が敬虔な態度で悲しんだそのことが,何という真剣さをあなた方のうちに生み出したのでしょう。そうです,汚れをすすぐことを,そうです,憤りを,そうです,恐れを,そうです,切望を,そうです,熱心さを,そうです,悪を正すことを! この問題に関して,あなた方は自分が貞潔であることをあらゆる点で立証しました。
きちんと反省したら、悔い改めて、
それを捨て去るようにすればいいんだね。
でも、またもし同じことをしてしまったら、
また、悔い改めをし、何度でもできるようになるまで
やればいいんだよね。
頭ではわかってるんだけどな。
適応がなかなかできない。
人間は不完全だから、
何回も同じことをしてしまったりするけど、
結果を評価されるんじゃなくて、
その努力を評価されるという話を聞いたことがある。
そうだよね。
わたしの子供たちが、一生懸命努力しているなら、
わたしはその努力をほめるものね。
自分にも当てはめられるといいな。