
子供が学校で元気をなくし、大人が職場で元気をなくして精神的に不健康な状態におちいっているもう一つの理由は、家庭における癒しの機能が低下したことにもあると考えられる。学校も職場も、それぞれなんらかのストレスをはらみ、多かれ少なかれ人はそのストレスにもまれて傷つくものである。
しかし、家庭にもどって「ほっとする雰囲気」にひたり、家族で団欒(だんらん)をたのしむことができれば、それだけでストレスからくる傷はたいていいやされ、翌日ふたたび元気に学校や職場にでかけることができる。その点から考えれば、家庭が本来もっているはずの癒しの機能が低下することによって、ちょっとした傷が修復できず、修復できないまま学校や職場にでるために、さらに傷を深めるという悪循環をくりかえす。こうした悪循環によって重い不適応がもたらされているという可能性も否定できない。→ 家庭崩壊
見方をかえれば、家庭はある意味ではきわめて効率的な精神衛生の砦(とりで)であったともいえる。崩壊寸前の家庭にいまさら団欒をといってもむずかしいが、家族のメンバーが少しだけ考え方をかえ、家族がともにくらすという視点をおたがいに共有することができれば、精神衛生上の問題の相当部分は解決できる可能性もある。なにかあればすぐ専門家に相談というように、心理臨床の場が盛況になるのは、文化の一つの指標かもしれないが、もっとも身近なところに各自の精神衛生を実行するための効率的な手段があることもわすれるべきではない。
息子の不登校に関しては、女親としては
思春期の男の子の気持ちはつかみきれない。
また、私自身が親に学校や友達のことで相談した経験がないので、
どう対処すればいいのかさえわからなかった。
ただ、学校に行けない分、何かを学んでほしかった。
買い物すること、洗濯、料理を作ること、
そしていろんなことを話し合うこと、
しかし、ある時別れた主人がわたしと話している息子の頭を
いきなりマグカップで殴った。
息子はびっくりし、
「お前なんか、ぶっ殺してやる」
と叫んだ。
今の父親は、家にいることが少なく、
普段から子供とのコミュニケーションが取れていないのに、
子供を叱る、教育するのではなく、
子供を怒るのだ。
子供にすれば、何で今頃お前が出てくるんだ?
って、感じなんだろうね。
今年、28歳になった息子は当時のことを振り返って、
はしかにかかっていたようなものだと笑って言う。
多分、本人もわかっていないんだろうね。