
ヒーリングともいう。身体の軽い傷は、かさぶたがとれれば跡形もなく元どおりに修復され、傷ついたということもいずれわすれてしまう。しかし、もしも傷が深ければ、たとえそれが癒されたとしても傷跡としてのこり、それゆえ古傷として記憶からきえることもない。心の傷もそれと同様で、愛する者を突然うしなった悲哀、それに対するおのれの無力と失意、やり場のない深い憤り、たえがたい屈辱などの、自分の外部からおそってきた不条理に発する深い心の痛手は、それがおきる以前の状態にその人をもどすということはけっしてない。
つまり、人がそのような出来事によってかかえこまざるをえなかった悩みや苦しみという「問題」は、答えをみつけて「解決」をあたえる、というように処理することができない。それらは「癒される」しかないのであり、どうしても傷跡は深くのこる。意味不明の不安におそわれ、動悸がはげしくなってじっとしていられないといった「症状」自体は、それが心の深い傷に根をもつのだということが本人に納得されれば、やがて消失していくだろう。しかし、症状はきえたとしても、心の傷は消去できないものとしてのこり、かえって鮮明によみがえることもある。
傷跡は、大切な経験として、同じように苦しんでいる人と
分かち合うことができるよね。
もしも、大やけどをしたとして、
ケロイドになった腕だけを見るか、
それとも健康なやけどをしていない部分を見るかで、
癒された後の人生も変わるよね。
全体を把握できる人でありたいな。