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[脚注]

クリスチャンは,催眠術や自己催眠の関係する方法を避けます。しかし,頭をからにすることや,頭の中を他人に支配させたりすることとは全く関係のない,視覚と黙想による訓練法もあります。そうした治療法を取り入れるかどうかは各人の決定に任されています。―ガラテア 6:5。

ガラテア6章5節
5 人はおのおの自分の荷を負うのです。

消極的な考えを良い方向に転換することについては,「目ざめよ!」誌,1992年10月8日号,3‐9ページ,および1987年10月22日号,7‐16ページをご覧ください。

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気を静める技術

穏やかな呼吸。パニック発作にはよく,過換気が伴います。呼吸を楽にするため,次のような運動をしてみましょう。うつ伏せになります。息を吸いながら六つ数え,息を吐き出しながら六つ数えます。次に,座った姿勢でこの同じ深呼吸を行ない,それから同じことを立って行ないます。横隔膜を使って深呼吸をし,自然にできるようになるまでそれを毎日続けます。美しい場所を想像しながらこの運動をして効果を上げている人もいます。
穏やかな考え。『倒れたらどうしよう』。『その場に助けてくれる人がいなかったらどうしよう』。『心臓が止まってしまったらどうしよう』。恐ろしいことを考えるとパニックに拍車がかかります。こうした考えは大抵,将来の惨事もしくは過去の発作のことですから,今の状況のことだけを考えるよう努めましょう。アラン・ゴールドシュタイン博士は,「当面のことに焦点を合わせれば,すぐに気は静まる」と述べています。中には,手首に輪ゴムをはめておくことを勧める人もいます。恐ろしい考えが浮かんだなら,その輪ゴムをパチンとはじいて,自分自身に「やめろ!」と言い聞かせなさい,というのです。不安がパニックへと発展してしまわないうちに,不安に思うのをやめることです。

穏やかな反応。パニックに襲われても,それと闘ってはなりません。それはただの気分であって,気分があなたを傷つけることはありません。海辺で波を見ているところを想像してください。波が立ち,それは頂点まで達しますが,その後,引いてゆきます。パニックが押し寄せるときもそれと同じです。その波と闘うのではなく,それに乗ってしまうのです。それは必ず過ぎ去ってゆきます。パニックが収まったなら,必要以上に感情を表わしたり,あれこれ考えたりしてはなりません。それは,続けざまに出るくしゃみや頭痛と同じように,消えてゆくのです。
パニックはいじめっ子のようなものです。怒らせると攻撃してきますが,怒らせなければ行ってしまうでしょう。R・リード・ウィルソン博士は,こう説明しています。気を静める技術は,「その場でもっとうまくパニックと“闘う”ことやパニックを“追放する”ことを意図したものではない。むしろ,パニックが闘いを挑んでいるその時間をやり過ごす方法とみなすべきである」。
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広場恐怖症,恐れに対する恐れ

パニック発作を起こす人の中には,広場恐怖症になる人が少なくありません。広場恐怖症は,公共の場所に対する恐れ,と定義されてきましたが,もっと正確には,恐れに対する恐れである,と言えます。広場恐怖症の人はパニックを恐れるあまり,以前に発作が起きた場所をことごとく避けます。やがて,“安全な”場所は1か所しかなくなります。大抵は家庭です。

著述家のメルビン・グリーンはこう述べています。「あなたが家を出ようとしていたとする。すると突然,どこからともなく,今まで見たこともないような大男が現われる。男は持っていた野球のバットで,訳もなく,あなたの頭を殴る。あなたはよろよろとあとずさりして家の中に入り,今のは何かの間違いだと考える。気分がよくなってドアからそっと外をうかがうが,何も変わった様子はない。あなたはもう一度出て行く。すると突然,さっきの男が出てきて,また殴られる。あなたは家に戻る。ここなら安心だ。裏口から外を見る。……あの男がいる。今度は窓から外を見る。……そこにもいる。安全な家を出れば,また殴られるのは分かっている。問題は,家を出て行くかどうかである」。

広場恐怖症の多くの人は,自分たちの感じていることをこの例えになぞらえ,回復の見込みはないと考えています。しかし,アラン・ゴールドシュタイン博士は,次のような励ましを与えています。「あなたは特別でもないし,仲間もいる。……自分で治せるのである」。

頭ではわかっているんだよね。
電車に毎日乗るたびに、パニックを起こすわけじゃないこと、
チャットをするたび、気分を害するわけではないこと、
でも、何回か同じ目にあうと、怖くなる。
わたしは、小さいときから鶏といわれ、
3歩歩くと今、失敗したことも忘れてしまうほどの楽天家なのに、
どうしてなんだろう?
よっぽど、怖かったんだよね。