初めまして。薫子(かおるこ)ですにっこり

 

苦労を乗り越えれば、成長できる!

成長できれば、認められる!

誰かに認められる人間になりたい!

そう思っていたので、自ら大変そうな環境に身を置きがちでしたガーン

 

初めて社会人として働いたのはヘアメイク見習いでした。

月収3万円で毎日朝から晩まで働き、完全にブラック企業。

上司は人格否定、気分屋でいつ怒り出すか分からないような人で、

毎日のように罵声を浴びせられていました。

貯金が減り、ストレスで激太り、上司に怯える毎日で

結局、精神的に耐えられなくなり、4年ほどで辞めてしまいました。

夢だったヘアメイクさんになることを諦めた1度目です。

 

もともと我が強く、負けず嫌いな性格で

当時は上司に我の強さを押さえつけられ、我慢し続けたことも辛かったです。

 

辞めた後に始めた仕事は、訪問販売の完全出来高制の営業職。

これまた大変すぎる仕事でしたあせる

全然稼げなかったのに、2年も続け、また精神的に疲れて辞めてしまいました。

 

興味のあった海外に初めて行ったのは訪問販売を辞めた後。

26歳でフィリピン英語留学とバックパッカーデビューをしました。

安宿に泊まる、屋台でゴハン、地元民との交流すべてが目新しくて

当時はとことん刺激を求めていたんだと思います。

 

次に始めた仕事は、気楽にできる仕事でしたが、

昼と夜、掛け持ちで仕事をしていて、ほぼ毎日働いていました。

お金だけは稼げていたので、やっと貯金ができ始めていたと思います。

ですが、仕事して帰って寝るだけ。

プライベートを充実させるのが苦手で、

仕事で一日を埋めることで安心感がありました。

 

そして、夢だった広告業界のヘアメイクに戻れるチャンスが訪れたので

またヘアメイク見習いとして働き始めました。

最初とは違う上司(師匠)のもとでしたが

同じく、圧が強く、気分屋で、いつも不機嫌そうな上司に

毎日萎縮しながら、上司からの電話が鳴るだけで

ビクっとするような生活を約4年送りました。

 

メイク技術では本当に尊敬する上司で

この人に認められるように頑張り続けた結果

精神崩壊しかけて、ストレスで病気になり

この当時は占いやら催眠療法に助けを求めたけれど

最終的にはヘアメイクの仕事は諦めるつもりで

上司から離れることで、やっと毎日の苦痛から解放されました。

これが夢を諦めた2度目です。

 

こうやって過去の仕事を振り返ると

自ら選んで苦労に乗り込んでいたと思います。

厳しい環境を乗り越えた私は凄い!と思いたかった。

誰かに認められたかった。

私の場合は、普通の人からはパッと見、

自己肯定感高めの人に見えたかもしれません。

 

心理学を学んでからは、よく分かります。

私は自己肯定感低めで、その低さを隠すために

カッコつけたり、プライドが高かったり

人が羨む肩書きを欲しがったり

承認欲求を満たすために頑張っていただけ。

 

自分を強く見せていないと不安で仕方なかったんです。

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

 

2度目のヘアメイク見習いを辞めた後のお話は

自己紹介(2)に続きます。