終戦記念日の15日に


思い立ってやっと


怠っていたこの時のこと投稿しなくてはならないと奮起しました



ちょっと重い話です



父と弟と息子と



茨城県の


内原に行った時です




日本の歴史の中で


知らない人の方が多いかと思います




かつて

15歳〜17.8歳の青少年が


国の方針で


満州開拓団少年義勇軍に志願したことを



その資料館です


少年義勇軍




学校で子供達にお国のために銃ではなく、クワを持って開拓し

満州に行かせると言う制度で

全国から

学徒動員のように

地域地域で募られ




壮絶な


過去です




お国のために行かないとならないと父は思った



そして



戦争中の田舎では生活は誰しも苦しく、長男であった父は自分がいなくなれば家計が楽になるようにと子供心に

苦労する母の背中にそう思ったそうで、



それは親孝行のつもりだったけど

今思うと、親不孝だったと


15歳くらいで満州に渡ることを

母に心配かけて


母を悲しい思いをさせたと


親になってみて分かったと



家族のためにと思った行動が

親孝行と思ったことが

親不孝だったと



父はそれに行ったのでした



壮絶な人生





満州に渡る前にその子供の頃に


こちらの内原訓練所で

訓練を受け



満州にわたり


渡ってすぐ父の場合は戦争が終わり


そこでまた


壮絶な体験をして


満州から日本に戻ってきたそうです





なぜか写真がボケていた




この服を着てたんだって





懐かしいって








戦争が終わる直前

このシステムの最後の方に



これだこれだって




山梨県から


この団長の元行ったんだと








毎日クワをもって


畑を耕したり







みんなで集団生活の寝泊まりのところは


夜になるとシクシクと

1人泣き出すとあちこちで


啜り泣きが聞こえるって


みんな13歳〜15歳の子供だから


家を思い出して









かつての建物を再現した

一棟




胸が張り裂けるほど懐かしかったのではないでしょうか



そういう言葉を父は発しませんが





面会にふるさとのお母さんがまだ小さかった末の弟が赤ん坊の時に、その弟を連れて山梨から

会いにきてくれると


ここで面会して

赤ん坊は、そこを走り回っていたとか




面会に誰の親が来てくれるのかなって


くる親とこない親と






そうして

ここで訓練を受けて戦争へと行ったそうです




親と離れてそのような歳から


暴れておかしくなってしまう子供たちもいたと記載されていました


読んでて胸が張り裂けそうでした






親子三代






父が


あの世に行く前に

内原が懐かしいから行きたいと最近戦争時代や、子供の頃のその思い出をここ何年か言い出して




弟にも見てほしいし


息子にも見て欲しかった



父の生き様を




人生生きていくときに


辛いことや苦しいことはたくさんある


うまくいかないこともたくさんあっても



この時代の


この父の


生きてきた人生


どれだけ過酷な日々



この辛さを比べたら



辛いうちには、入らないだろうと思うし




今の時代の恵まれた暮らし





生きていくための

日々の挑戦と



恵まれた日々が

当たり前でなく


祖先の苦労のもとに

今があるという感謝



今は穏やかな日々を過ごさせてあげられること




せめてもの

残された時間を



穏やかに


楽しく暮らしてもらいたい





こんな時代があったことを


私たちは知るべきで



戦争という狂気に



国も人も


方向性を間違える



残酷な運命の中



生き抜いた



その日々に





お爺ちゃんが頑張ってくれたから今があるんだね


って



感謝と共に



私たちも頑張らないといけない




何かで辛い時は


こんなことも思い出して



頑張れる









それほどまでに







時が止まってるかのような




















これはそのときに


その後行った比較的近くの温泉



父から子へ

孫へ




残せるのは


生き様、生きる背中、



生き様としか言いようがない


誠実に正直に真摯に  



どんな過酷な中でも


受け入れて

生きること



がんばってれば

いつか

穏やかな日々が


プレゼントされる





歴史に翻弄された


うちのお爺さんの人生




実はこんなふうに

いろいろ




終戦記念日だから



やっと投稿ができました





息子に見せたかった偉いねお爺ちゃん

頑張って生きてきたね


って姿



と同時に




私自身も


父のように


世のため人のために

形は違っても


花で世界で挑戦したり



多くの方へお花を届けて




他者のために


  これからも


さらに一層




我が道を精進しようと思います




話余談ですが、




父の

孫のうちの息子が


訳あって

13歳からイギリスに泣く泣く

単身留学に出したのですが

1人寮生活で(ハリーポッターのような、イギリスのシステムのボーディングスクール)

結果オーライで成功でしたけど



13歳で私の手元を離れて行った息子を出す時の思いは


私のおばあちゃんが、私の父を同じような歳で戦争に泣く泣く出した


この数奇な重なる運命





そんな歳で親元を離れて、一人旅だった私の父と私の息子




母親の気持ち











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