誰でも魔法の扉夢への扉が開くときがあるのだと思う。



扉が開いたことを感じることはあとからわかること。
 


だから、自らその扉を閉めてしまう人の方が多いのかもしれない。
 


あの時扉をしめてしまった自分、いまこの箱の内側しか知らず


拓けて行ったかもしれない夢のような未来の扉を閉めてしまった自分




夢を諦めながら生きていく
というような後悔だけはしない人生を。
 
 
チャンスが目の前にやってきてもチャンスは死神のお面をつけている。



誰でもそう簡単につかめないように試されるのだ。

 
つかみかけると、つかんでいいのかい?本当にいいのかい?というような
反対に引っ張ろうという何かを起こさせる。
 


 
つかむ前は大変な事や悩むことばかりを与えて、考えさせるのだ。



 
そして扉を閉めて引き返してしまう人がほとんどではないだろうか?
 


一つの扉があいてその世界に足を踏み入れると


また次、また次と夢の扉はやってくる。これは体験から言えること。


私自身の体験と周りの生徒さんやスタッフを見ていて感じる結果と。


 
 
モナコで夢の扉、魔法の扉が開いたのは1999年だった。
 
 1998年に
「南フランスプロヴァンス風ウエディング」というのを発表し
取材をうけたものが関係者の目に留まり
12月の「ベストウエディングインモナコ」という世界のドレスデザイナーの集うショーのフラワーデザイナーとしての起用にまでつながった。


 
そしてその12月の前に一度視察を兼ねてモナコに訪れるようという衝撃にかられた。当事のスタッフを2名ひきつれた。
お金も日数もかかるのにだ。


その、
考え方によっては無駄と思われることがプラスに転じることは多々ある。



視察だから自費で買った航空券のエコノミー。
だがエールフランスは
ビジネスクラスが用意されていた。




その際にただの視察だとつまらないので
 
故グレースケリー王妃設立のフラワーアレンジメント協会があり、そのコンクールが毎年5月行われるといいそこに出てみないか?とも声がかかった。
そこに日本代表として参加をした。
 


初めて行くモナコは
なにもかもが幼い日のお姫様の気分を思い起こす。
 
ドレスアップした淑女がシャンパン片手に交流するフラワーアレンジメントコンクールのオープニングパーティー。
 


モナコ王室の大公、プリンス、プリンセスが審査員でお出ましになる。
作品をご覧いただけただけでうれしかったし、まだ独身のプリンスはウィンクをしてくれた。(笑)


グレースケリーのモナコなんだわと思うだけで胸が高鳴った。


ドレスをきてカジノも行って見たり
もちろん南プロヴァンスへと足を運んだ。

何事も見る事感じる事が勉強だった。







まだ駆け出しの無名の自称フラワーデザイナーを気取っていたわたしだった。









続く~魔法の扉へと

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