天高く昇って行った魂は神様のところにたどりついただろうか。


私の花が数数の魂が天に昇るようだというコメントやメールをたくさんいただいた。


後方のイエスキリスト様の像をはさむように私の花は文字通り天高く神様に向かい


尊い命を犠牲にされた方々のはかなげでもありながら凛とした高潔さを示した。




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君影草(スズランの和名)は聖母の涙であるという


ひっそりとたたずみ傍らで花達は何を語らうか?




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被災地の放射線の高い避難地域、人が住めなくなり


動物が命を落としても


花は咲いているそうだ。


花は何ごともなかったかのように凛と咲いている。


多くの尊い犠牲になった命に報いるために私たちはどう生きないとならないか?


そんなことを問いかけているようだったと被災地を回った大倉氏はそうおっしゃった。



それを聞いた私はこの鎮魂コンサートに賛同し


だからこそ


天に昇られた多くの魂に頭を深く下げながら祈りながら花をいけた。



そんなところに咲いているの と誰も見つけてくれないまま生涯をおえる君影草のように



今被災地避難区域に人の気配がなくなろうとも 咲き続け命をつなぎ続ける花達がいるように



予期せずあっと言う間に天に昇った魂たちは



天高いところから人間の行いをどのように見ているだろうか





幸せの中にどっぷり使っていると不幸せになる

そこにいることが当たり前じゃないんだということを人は見失うから

その幸せを忘れて不幸せばかり数え出す

最初の気持ちを忘れてしまい

その状態があたりまえでいつまでもあるかのように

勘違いにおちいり慣れと驕りの渦に落ちていく

当たり前じゃないんだということを一瞬一瞬

感じる心が大切


私がいつも変わっていくいろいろな人にかける言葉



初心忘れるべからずとか継続は力なりとか昔から言う言葉は

日々思い出していれば不幸せへの道にぶれることは無い




私たちが気付かなければならないことは


あたりまえじゃないんだと言うすべてへの感性



それが



私たちが尊い命に教えていただいたこと