明日からまた熱い夏が再び。何かと言うとBⅠAのブライダルコーディネーター(ウエディングプランナー)セミナーの後期が始まるのです。

私の講義は18日です。^^

そういえば、前期の講義でマーケティングの第一人者、江口教授の講義でのこと。

ご自身は絶対に一目見てブランドとわかるバッグや服を身につけないそうだ。

なぜなら自分の価値はこれくらいですといって歩いているようなもんだから。と。

わかるわかる!と私もうなずいた。

そうよね。ブランドのバッグや時計は値段がひとわかり。
十数万から数百万と値がついていたとしても、その値段が公にわかるだけに、「あの人○円のあの時計?あのバッグ?」と人はそう言う目で見ているということを私もある段階から思うようになったから良くわかるとうなずいた。

私も昔はブランドの時計、バッグ、宝石を必ずつけていたけど、KAORUKOとして認知され出すと「○○が好きなんですね」とか言われたりすると、別にこれが最上級に良いと思っているわけではないけど・・・と心で呟く。
そして、自分のその時点での精一杯の背伸びであったりしても自分が進化向上すると上には上があるという上の世界を知りだすと、それらをひっこめたくなったりする。
なぜなら欧米日本の本当のセレブはおいそれとあまり高級ブランドのそれらを持たないということを知る。本当の金持ちは一目でわかるそういうものは持たないものだと上には上の・・のジャンルに方がたから教えてもらったりした。

でも人はその時にそれで判断する。

だから時計も宝石もバッグもほとんどブランドとわかるものは避ける。KAORUKO先生の時計は○○とかたちまち広がるし、それが最上級にそれしかというわけでもないという自分がいたときにわかりやすいブランドはつけるのをやめようと思ったものだ。

いや自分ブランドとか、あとは1000円でも気に入ればそういうものを自信をもって持つ自分がいる。ファッションやトレンドを反映したものとか。むしろそのほうが心地よい。

いつか著書にも書いたけど、エルメスの皮のは高くて持てないけどでも持ちたいという女性の心理をついた数万円の布のバッグが(幼稚園バッグのようなあるいは体操服入れのような)ひところ大ブームでものすごくおおぜいのひとが持っていた。本当に持っている人はこれが大好きで素敵なのかな?と不思議に感じた。

皮の方の数十万~数百万を持ってたとしてもあの人何色を○個持っているのねとか揶揄されるのを見てきた。
好きで持つ人はそれでいいんだけど、他人が確かにそう言う目でわかりやすいブランドを持参しているとその人の価値をそれで決めてしまうというのを垣間見てきた。

だから自分のことからも周りの観察からも江口先生のポリシーはとても良く理解できた。

エルメスくらいの価値に見られたい、ヴィトン、シャネル・・・くらいの価値に見られたい・・あるいはそれにふさわしい私なのよと。?
そう分析を聞けば、そうかもしれない。

(講義を聴講するまえにごあいさつした時、私は韓国で買った3000円のそこらへんのバッグ・・・バラメリアが装着されているお花のかわいいバッグで一目ぼれしたから・・・を肩から下げていて良かったと~と胸をなでおろしたものだ)

その程度の価値ですよと自分で言っているようなものだから持たないという主義主張。
潔よくて心地いい。