皆さまご心配をおかけしました。

たくさんのご心配コメントもありがとうございます。

また一日何人閲覧に来てくれるか?を調べても毎日のように今までの通常の平均数が変わらぬ数きてくれているということを知り皆様にとり待ちどうしい日々だったとともにご心配をおかけしたのだと思います。
ごめんなさい。



実は母が亡くなりました。

娘としては悲しみの中にあり喪に服しますが、
公人としてのKAORUKOとしては仕事再会は翌日からすっかり始まっています。(しかしまるで私のスケジュール表を読んだかのように一番ゆるいスケジュールの今を選んで亡くなりました。。。)

昨年の2月に癌が発見され4月に手術そして11月に再発、12月には余命3週間宣告をされました。
が何が医学と科学を超越したか?奇跡的に8カ月命は延びました。5月には最後に外泊許可のもと温泉にもつれていけました。

3週間宣告の時は絶望の淵ににおとされ涙も枯れましたが、この8カ月の間父も私たち姉弟も献身的に寄り添い、家族としての日々を大切に時を重ねることができました。


癌によく効くという免疫を高める某きのこ類を諸外国から買い入れ、仕事の合間に数日おきには徹夜をしながら朝まで煎じたり、神主さんにもお世話になったり、何が功を奏したか?わかりませんが奇跡的に回復をし温泉まで行けたのです。
8カ月母は頑張ってくれて、その間私たちは衰えゆく母と時を刻みました。


死の宣告は突然やってきて、
限られた残された時間の中で、今までの人生を振り返り、死にゆく人も残された人もお互いの中に感謝の数を見つけて、慈しみと愛に包まれて無償の思いを積み重ねられたことは私たちにとって貴重な期間でした。それは・・
絶望の涙を流した意味は「どれくらい優しくしてあげただろう、なんの親孝行をしてきただろう、もう笑うことも叱ってくれることもない、自分として納得できない」という母に対する後悔でしたから。


母の好きな花で見送りました。私が葬祭場の全ての花を手掛けました。

たくさんの供花をみなさまからも頂きました。本当にありがとうございます。
(生徒さんや卒業生、認定ライセンシーの方がたへは連絡が回りました)
おおげさにしたくなかったのでブライダル業界花業界の方には一切お知らせはせずにお仕事仲間でも親しい知人友人だけにお知らせさせていただきました。が、それでも
とても多くの供花を頂戴し心から感謝しています。

たくさんの方が足を運んでくださいました。弔電も懐かしいKAORUKO関連の方がたからいただきました。


「ブライダルフラワーで新風を巻き起こしたKAORUKOさんでしたけど、この葬儀の花も革命ですね、取材したいくらいです」と某花関連の雑誌の方が来てくださった時に驚かれて言われました。

そうかもしれません。

フラワーアーティストとして母の最後を見送るときありきたりの葬儀の既成概念や固定観念、こうでなければならないという花ではなく私らしく母らしく、私の考える母をおくるスタイルを実行しましたから。驚きのスタイルだったかもしれません。
清らかに温かい花で母を送ることができました。


ここでお見せできないのが残念ですが、多くの皆さまから頂いたご厚志によりたくさんの花でそれらを実現しました。

本当にありがとうございました。


本当はブログに書くのも躊躇しましたし、悩みましたが、みなさまへの感謝の思いをお伝えし、また少しでも「おくりかた」やその期間についての心の部分についてご参考になればと思いここに記させていただきました。
「おくりかた」・・・人生の終末期について本当に考えさせられたこの1年あまりでした。



公人のKAORUKOとしては喪明けの前倒しのお祓いをしていただき
バリバリ頑張ることが供養になると信じて益々精進させていただきます。
今後ともよろしくお願いいたします!