笑うに笑えない、琵琶湖より愛をこめて | 薫彦の二杯目のグラスから ~ Kyoto 編 II ~

薫彦の二杯目のグラスから ~ Kyoto 編 II ~

年年歳歳花相似たり、年年歳歳人同じからず。

日々変わりゆく季節と身の回りの備忘録日記。
シュワシュワの後の、2杯目グラスは bitter or sweet ??

12月の第1週の月曜日、紅葉シーズンも終わりに近くなり、街中の銀杏並木もすっかり、黄金色になった。

 

先月23日から公開以来、今年一番どの他の映画より期待して、まさに満を期して映画館に入った。

休み明けの月曜日の午後とはいえ、館内には、

ほんのわずかの観客しか入っていない。

あくまで埼玉が主人公の物語とはいえ、滋賀も和歌山も奈良も京都もあまりに身近で、とても

笑う気持ちにならない。

 

周りには、地元のお客さんが8人くらい、”ゲジゲジ”あたりで、クスッと笑いが聞こえたけれど、

自虐ネタに一応笑った、義理堅い滋賀の人?

だったかもしれない。

京言葉翻訳機にだけには、共感はするものの、笑いにはならず。

 

思えば、東京は江戸開幕、明治維新以来、地方出身者の集合体で、地元意識というものがない。

だから何をどう言われても、ダサいたまも、

チバラギさえも”他人事”としか思えない。

そういうアタクシも大学以来25年も文京区に住んでいても、自分が東京人などと思ったことは一度も

なかった。

そのくらい、ある意味グローバルなコスモポリタン都市になったのはやはり、震災と空爆で徹底的に、町も人も街の文化風習さえも、みな破壊されて、

入れ替わってきたからであろう、と今になって思う。

大津も京都も、1400年以上変わらない地勢と街並み、そして同じ祖先からの血を持つ今の人たちが、変わらずに住んでいる。

 

関西、近畿を外から見た人たちから、ひょうっとして笑いが取れる?かもしれないけれど、その理由すらわかりにくいかもしれない。

妙に納得するのは、おそらく関西を通り越して東京に行くことしか思っていない、九州人くらいかもしれない。

思えば、明治維新でも、薩長土肥は京都の人口を半分連れて皆、東京に行って、京都には地元の人しか残らず、そんな京都を守るかのように、琵琶湖疏水が造られて、京都の殖産興業の基となった。

今も昔の、滋賀は京都も大阪を守っている。

 

役者さんたちの第熱演には、感激するけれど、

前作のように乾いた明るい笑いには到底及ばない気がする、

 

次回第3作には、大いに期待はするけれど、佐賀長崎福岡だの、甲信越だの、狭い範囲でなく、

近畿・中四国、九州族隊、関東・中部、奥州

(千葉ラギ、福スマ、ぐんとち、も含めて)との

比較にしたら、もっと楽しめるかも。

埼玉と大阪が結託して、東京・その他と戦う方が面白い?かも。

 

笑いには当事者ではなく、他人事として客観的に見られた方がはるかに楽しいことを、改めて実感した

笑えたのは、三重が近畿から抜けてて、中部圏に入ったことくらい、、


よお知らんけど。。。。

 

(大阪御堂筋)

(次回作は東西決戦、かしらん)