信州読書会さんに参加させていただいて、毎週金曜日に
課題図書の感想文を提出させていただいています![]()
今回は、ソルジェニーツィンの『 イワン・デニーソヴィチの一日 』
の感想です![]()
ソ連のスターリン暗黒時代の悲惨きわまる強制収容所の一日を
リアルに、時にはユーモアや希望を交えて描かれた作品です![]()
「シューホフ(主人公)は、すっかり満ち足りた気持ちで眠りに
落ちた。今日一日、彼はすごく幸運だった。営倉へもぶちこまれ
なかった。自分の班が「社生団」へもまわされなかった。
昼飯の時はうまく粥(カーシャ)をごまかせた。班長はパーセント
計算をうまくやってくれた。楽しくブロック積みができた。
鋸のかけらも身体検査でみつからなかった。晩には、ツェーザリ
に稼がせてもらった。タバコも買えた。どうやら、病気にもならずに
すんだ。
一日が少しも憂鬱なところのない、ほとんど幸せといえる一日が
すぎ去ったのだ。」
これは、ラーゲリと呼ばれる収容所での過ごした一日の感想
です。もちろん、文字通りに「幸せ」と呼べる日々ではないことは
読者はわかっています。極寒の地で、強制労働を強いられながら
食糧事情も悪く、着るものなんてボロだけです。
おまけに、賄賂が横行していて、ラーゲリ内の格差もヒドイです![]()
現代の私たちからは想像もつかない生活の中で、それでも
「生きて」いくために希望や楽しみを見つけ出し、糧にする・・・
なかなかできることではありません![]()
ただ、人間はいかに絶望の淵に落ち込んでも、「希望」や「幸せ」
を見出すことができるということも、忘れてはいけないですね![]()
『 絶望という孤独 』
この小説では、どうしたってソ連の強制収容所の過酷な生活という枠は外れない。でも読んでいて、違和感があるのだ。確かに、食糧事情や労働条件等、ひどい状況であることには間違いない。実の入っていない野菜汁、マイナス41℃など、ひとつひとつのディティールに胸をぎゅっと掴まれる…そうか、悲壮感がないのか。いや、「こんなしずかなところに、なんにもしないで、まるまる五分間も坐っていられるなんて、まるで夢でもみている心地だった。」(P.31)という状況は、十分なダメージがある。
うーん、なんだろう?とモヤモヤと共に読み進め、最後の文章ですっと腑に落ちた。
( 引用始め )
一日がすこしも憂うつなところのない、ほとんど幸せとさえいえる一日がすぎ去ったのだ。
こんな日が、彼の刑期のはじめから終わりまでに、三千六白五十三日あった。
閏年のために、三日のおまけがついたのだ……
( 新潮文庫 P.255 )
( 引用終わり )
「過酷な一日」を切り取ったと思っていたのに、実は「幸せな一日」だったという逆転のカタルシス。読後はしばし、自分の価値観が浮遊してしまった。自分であれば、先の見えない刑期、過酷な生活環境、理不尽な人間関係に絶望して、死を選ぶかもしれない、そうだ、シューホフをはじめ登場人物たちにないのは「絶望」だ。「ラーゲルの囚人たちが自分のために生きているのは、ただの朝飯の十分、昼飯の五分、晩飯の五分だけ」(P.24)の状況にも関わらず、「生き抜く」ことに全力をかけている。現在の「生きがいとは何か」という価値観が裸足で逃げ出してしまう。ただ生きることに向き合い、もはや絶望するヒマがないというところかもしれない。ただ、シューホフにはラーゲル内の人間関係があった。班長のチューリンやツェーザリにアリューシカらがいて、お互いに助け合い「生きる」。絶望とは環境ではなく、孤独に陥るところからなのだろう。
この過酷なラーゲルにも掟があるとシューホフの最初の班長クジョーミンがいう。
( 引用始め )
ラーゲルでくたばっていく奴は、他人の飯皿をなめる奴、医務室をあてにする奴、それから、仲間を密告しにいく奴だ。
( P.6 )
( 引用終わり)
この掟を現代の生活に当てはめても、真理は変わらない。ラーゲルでも現代でも、この掟を破れば孤独になり、生きてはいけない。
シューホフの豊かな人間関係が、この小説の違和感だったのだ。
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