信州読書会さんに参加させていただいて、毎週金曜日に
 課題図書の感想文を提出させていただいていますニコニコ

 

    今回は、三島由紀夫の『 金閣寺 』の感想です本

 

    私は修学旅行で、初めて金閣寺を訪れました。

    写真で見たとおりの金箔をまとった煌びやかな「金閣寺」に

    目を奪われました。

    だけど、その時は本物の金閣寺が焼失していたことを

    知らなかったのです。す

    それを知ったときは、すごく衝撃をうけましたビックリマーク

    

    1950年の「金閣寺・焼失、放火犯は寺の青年僧」という

    ニュースにインスパイアされた三島由紀夫が描く世界。

    身も心も奪われた金閣寺の美しさ―に秘められた青年僧の

    吃音症というハンデを背負い、破滅していく姿を一人称の

    告白体で書かれていますビックリマーク

    この小説自体はフィクションですが、実際とかなり相似して

    いるところもあり、どこまでが現実なのか読者は翻弄され

    ます。

    その翻弄されるしかない浮遊感を、金閣寺を燃やすしか

    なかった青年僧と共に味わってみませんか!!

 

 

      

               『 永遠と絶望 』

 

 

  幼い頃から、金閣寺ほど美しい存在はないと父から聞いて育った溝口。本物を拝するまでは、溝口の中に絶対 的な存在として「金閣寺」は君臨していた。 

だが、実際の金閣寺を見る機会を得ると、期待した以上の美でなかったことに落胆する。 吃音があり、顔も醜いと自認しているコンプレックスまみれの溝口からすると、金閣寺を絶対的な存在から、自らと同一化できる存在へと引きずり落としてしまったところから、後の「行為」を引き起こしてしまったのではないかと感じた。
溝 口は、「絶望」したのではなく、最初から絶望の中に生きていた。カフカの「変身」のグレゴール・ザムザのように。

 

 

当時、まだ続いていた第二次世界大戦を機に、金閣寺が爆撃による消失の恐れが出てくると、溝口は再び、金閣寺に美しさを見出す。金閣寺は永遠ではないと思うところから、同じく永遠でない自分と重ね合わせてしまう。

しかし、戦争での消失から逃れると再び執着し、自らの手で破壊しなければと思い詰めていく。例えば、有為子の死を願って、現実に有為子が死ぬと溝口の中で「永遠」になった公式を、金閣寺に当てはめたような気がした。
永遠ではない美に固執する溝 口。 
溝口は、コンプレックスから自らを守る方法として、周囲から理解されないことを喜ぶ思考をデフォルトに据えた。
それは、裏を返せば、誰よりも自分を理解してほしい、認めてほしいという叫びが私には聞こえる。自らが傷つかない哀しい 落としどころだ。 
だからこそ、金閣寺に火を放った後、金閣寺の最上階が開かなかった時、まるで金閣寺に人格があるようなショックを 受けたに違いないと思う。 金閣寺は、自らに火を放った溝口を決して受け入れなかった。
それは、溝口が勝手に自分と同じ存在に同一化した金閣寺自身の意志だ。今までは老師をはじめ溝口の人間関係は「忖度」だった。初めて、はっきりと自らを拒絶された溝口 は、やっと「生きる」方向へベクトルを切った。
それまでは、金閣寺が溝口の人間としての軸だったのだ。 金閣寺は自らを犠牲にしても、溝口の生きる意志を明確にさせたような気がした。 これからは、柏木も鶴川も有為子も老師も娼婦も…金閣寺もない世界で、自分自身を軸に生きていくしかない溝口。 彼は、「生と死」ではなく「永遠と絶望」を行き来していた。
 
 
 
  

 

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