信州読書会さんに参加させていただいて、毎週金曜日に
 課題図書の感想文を提出させていただいていますニコニコ

 

  今回は、中島敦の『 山月記 』の感想です本

 

  中国の唐の時代、難関な試験の科挙に若くして合格した李徴と

  袁傪でしたが、李徴はプライドの高さから周囲に馴染めず、

  役人を辞めて、詩人を目指します。
  しかし、うまくいかず、生活は困窮します。生活の為に、泣く泣く

  下級役人となりますが、そんな自分が許せず、発狂して

  虎になります。

  虎となった李徴は、かつての友の袁傪と再会しますが…。

 

  というのが、前半部分のあらすじですねビックリマーク
  後半部分では、友の袁傪と再会した、虎となった李徴の心の

  動きが詳細に描かれています。

  「意識高い系」という言葉が、現在は流行っていますが、

  ひょっとしたら、李徴はそれに通じるかもしれません。

  社会に出て、自らの力で労働をして、その対価をもらう…こんな

  当たり前だと思われることですが、対価をもらうには自らの

  プライドを最優先できないのは、古代の中国も現代の日本も

  同じです。

  後半の李徴の心の叫びは、是非、自分の目で読んで

  いただきたいと思います!!

 

 

『 残月 』

 

 自分の感情くらい厄介なものはない。李徴が、その感情のコントロールを「猛獣使い」と表現したのも頷ける。サーカスの猛獣使いは一見、容易に猛獣を操っているように見えるが、一瞬でも気が弛むと命はない。だが、人間の感情の取り扱いは、その猛獣よりも大変なことなのだとこの小説で実感する。
李徴は、博学才穎ゆえに賤吏に甘んずることを潔しとしなかった。自ら望んだ詩業にも半ば絶望し、妻子のために一地方官吏の職を奉ずるが、かつての同輩の下命を拝すことに彼の自尊心は傷つく。ゆえに発狂して、虎の姿に身を落とす。自分探しスパイラルから抜けられなくなったのだ。

李徴からすると、詩友と交わって、才能の不足が暴露され、自尊心が傷つくのを恐れるのもわからないでもない。しかし、恐れるがゆえ、自らの猛獣が「尊大な羞恥心」であったと気がつく。「才」が大事なのではなく、「刻苦を厭う怠惰」が問題だった。猛獣使いとして、「猛獣」に負けた。
私自身は、李徴のような才が皆無な分、李徴が苦しんだ自尊心とそれに伴う羞恥心に悩まされることは少ない。だからこそ、信州読書会さんに感想文を恥ずかしげもなく、毎週提出できるのだ。李徴ができなかった切磋琢磨というにはおこがましいが、私なりに「刻苦して磨く」一端をさせていただいていると思っている。

 

 人間として最後の「咆哮」である詩を袁傪に託すが、何か一流として欠けるものがあると袁傪は見抜く。その答えも李徴自身はすでにわかっていた。飼いふとらせた自尊心ゆえに妻子をないがしろにし、人間としての「ひとしずく」が足りないからだ。

虎の姿になっても、自嘲癖はそのままの李徴を前に、袁傪はどんなに切なかっただろう。

 

袁傪に詩を託したことで、虎として生きていくことに覚悟を決める李徴。自分探しはやっと終るのだ。その李徴の最初の決断が、人間として最後の決断になろうとは。

袁傪に最後に見せる咆哮は、李徴の人間としての最後の光だ。有明の空に浮かぶ残月のような光…。夜明けと共に消えてゆく。

 

 

 

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