信州読書会さんに参加させていただいて、毎週金曜日に
課題図書の感想文を提出させていただいています![]()
今回は、村上春樹氏の
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の感想です![]()
「世界の終わり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」という二つの
世界で起こる物語が交互に進んでいきます。
「世界の終わり」では、高い壁に囲まれ、外界との接触が
まるでない街で、一角獣の頭の骨から「夢」を読む仕事を
する<僕>。
「ハードボイルド・ワンダーランド」では、老科学者より、
意識の核にある思考回路を埋め込まれた計算士の<私>。
この二つの幻想世界と冒険世界が交互に展開され、
ありえない世界観にどっぷり浸ることになります。
現実と言うよりは、主人公の精神世界を彷徨っている気分に
なります。
解釈は、読者の数だけあるのが村上春樹作品です。
是非、トライしてみてはいかがですか![]()
『 生きる 』
この小説を読んで、図鑑に「大昔は、地球は海が平らで、先が崖で滝のように落ちていると信じられていた」と書いてあったのを思い出した。地動説がまだなく、地球が球形だとわからない時代では水平線の向こうは想像できない。そこが世界の果てだと思い、当時の船乗りは怖がったともあった。
今では、地球が丸いのは当たり前で、水平線が「世界の終わり」なんて誰も思わない。だが、地球が丸いということは、進み続けるといずれ同じ場所に戻る。地球と人間の規模が違い過ぎて普段は意識しないが、私たちは自らの意志で「地球」から出られない。酸素のある成層圏の中でしか生きていけないという高い「壁」があるのだ。ひょっとすると、私たちは生まれながらに影を剥がされて、心を失い「地球」に閉じ込められているのかもしれない。たまにテレビで見かける、ひとりで秘境や森に住んでいる人は、影がうまく剥がれなくて心が残っているのか…と想像してしまった。
「世界の終わり」の「僕」は、完全な世界で心を失くすより、「影をひきずり、悩んだり苦しんだりしながら年老いて、そして死んでいく」( 新潮文庫(下)P.251)方を選ぶと図書館の女に言う。しかし、記憶・心である「影」が消滅する期限がわかると葛藤する。結局、自らが作り出した世界に責任があると「世界の終わり」に留まる決心をする。その葛藤や決心こそが「生きる」ということなのかと感じた。自らの心で感じ、人を求めることは当たり前のようで当たり前でなかった。同じように、心が残る図書館の女と一緒に森で暮らすことを選択する。
一方、「ハードボイルド・ワンダーランド」の「私」も精神の死の期限が切られてからの能動的な行動は生き生きとしている。健康な肉体ももちろん必要だが、自ら決断できる精神と合わさらないと「生きる」ことはできない。私は「死」は恐ろしく、逃れたいものだと思っていた。だが「死ぬ」ということは「生きて」いたということだ。「心のない不死」を私は選べないと感じた。
いずれ、「私」が冷凍保存から生還して、今度こそ自らの精神で生きてほしいと思う。
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