信州読書会さんに参加させていただいて、毎週金曜日に
 課題図書の感想文を提出させていただいていますニコニコ

 

  今回は、川端康成の『 雪国 』の感想です本

 

  「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」

  というあまりにも有名な書き出しで始まりますが、ストーリーを

  ご存知の方は案外いらっしゃらないかもしれません。

  私がそうでした汗 あまりにも有名であるがゆえに、敬遠

  していたのかもしれません。

  今回、信州読書会さんでの課題図書が二回目にして、

  まだ内容を把握しきれていません。

  それは、難しいのはなく、あまりに美しく、あまりに繊細で

  慎重に取り扱わないと雪のように溶けてしまう作品のように

  感じているからです雪の結晶

 

  雪に埋もれた温泉街で、芸者駒子と出逢った島村。

  雪国といういわば閉鎖された空間での島村をとおして、

  ひたむきに生きる女たちの生き様、命の純粋を見つめている

  物語です。是非、ご自分の目を通して、読んでいただきたい

  です雪の結晶

 

 

『 越えない天の河 』

 

( 引用始め )

 

秋が冷えるにつれて、彼の部屋の畳の上で死んでゆく虫も日毎にあったのだ。翼の堅い虫はひっくりかえると。もう起き直れなかった。蜂は少し歩いて転び、また歩いて倒れた。季節の移るように自然と亡びてゆく、静かな死であったけれども、近づいて見ると脚や触覚を顫わせて悶えているのであった。それらの小さい死の場所として、八畳の畳はたいへん広いもののように眺められた。

島村は死骸を捨てようとして指で拾いながら、家に残して来た子供達をふと思い出すこともあった。

                     ( 新潮文庫 P.128

( 引用終わり )

 

 巻末の竹西寛子氏の解説「川端康成 人と作品」(P.191)にも引用されている箇所だが、私はこの箇所こそ、島村と駒子の視点、未来のすべてだと感じた。

島村は、駒子との関係を「僕はなんにもしてやれないんだよ。」(P.136)の台詞が表すとおり、「自然に亡びてゆく」死と捉えているように思う。死の間際に歩いては転び、脚や触覚を顫わせて悶えている蜂は、たぶん駒子の比喩だ。どうしても島村を思いきれない駒子のもがきだ。蜂にとっては広い八畳間だが、島村と駒子の愛もこの八畳を出ることはできない。この八畳でいずれ愛は朽ちていく。駒子との愛の死骸を拾いながら、妻子の元へ戻るだろう。島村にとっては、最初から「死に向かう自然死」の愛だったかもしれないが、駒子は島村に「生」の愛を求めてしまったのだろうか。いや、駒子には旦那もおり、島村の事情もわかっている。ただ、駒子の島村との会話の天邪鬼な返答に、感情の制御はかくも難しいのかと胸が痛い。

 

火事場へ向かう場面で、空に天の河が広がる。注釈に「牽牛と織女の伝説になぞらえてみれば、その愛の結末は、はっきりと悲運が予想されて」(P.186)とある。牽牛と結婚した織女が仕事をほうりだしてしまったことに怒った天帝が、天の河をはさんで、一年に一回しか会えなくした中国の神話伝説だ。
島村にとって、越えられない河ではなく「越えない」河なのだ。駒子との愛が自然死を迎えるまで、一年に一回トンネルを抜けて、雪国へ向かうだろう。真冬の雪国は、何も芽吹くことはない。

 

 

 

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