信州読書会さんに参加させていただいて、毎週金曜日に
課題図書の感想文を提出させていただいています![]()
今回は、井伏鱒二の『 黒い雨 』の感想です![]()
1945年8月6日…広島に原爆が投下された日。
一瞬の閃光の後、放射能の雨の中、罪のない広島市民の
人々は彷徨い歩きました。
主人公の重松は、「黒い雨」に打たれただけで、原爆病に
蝕まれていく姪との不安の日常を淡々と描いています。
原爆を落とされた後も、広島市民の「日常」は続いていきます。
どんなに無常でも生きていかねばなりません。
それは、70年以上経った現在でも同じです。一度始まった戦争は
終わらないのです![]()
悲惨な状況をことさら煽るのではなく、静かな視点で慈しみを
持ちながら書かれた文章に余計に胸を打たれます。
『 国家のない国 』
先日、知人と献血について話すことがあった。私自身は貧血で、成分検査ではねられる為、献血ができない旨を話した。すると、その知人は「私も献血したことがない。被爆二世だから。」と話したのだ。私は、何かにすっと引き戻された。岡山では忘れていた感覚だからだ。
実家がある広島市では、いまだに戦争の痕跡はそこかしこにある。だが、岡山在住が長くなり、隣県といえど戦争を意識することはほとんどなかった。
実際は、被爆者でも献血はできるのだが、この知人も矢須子のようにいわれなき差別に苦しんだのかもしれない。私自身は、父が疎開しており、母が南九州出身のため、被爆はしていないが、広島の友人のほとんどが被爆二世・三世でそれが日常だ。しかし、広島から離れた地だからこそ、余計に偏見が強かったかもしれない。
この小説では、重松一家の「原爆投下時」の日常が語られる。日常といったのは、一般国民は当時、核兵器という現状を理解していなかったからだ。あまりに酷い惨状が目の前にあっても、重松の日記のように淡々と乗り越えるしかない。原爆の死者は、投下された8月~12月までに14万人と云われ、数字としての認識しかないのが普通だ。それぞれに、重松一家のように「生活」があり「人生」があったことに想いをめぐらせることはないだろう。
命の価値とは、本来普遍的であるはずだが、戦争時はかなり暴落する。非戦闘員が何十万単位で亡くなることがわかっていても、核兵器を使う。しかし、ある時は「命は地球よりも重い」とのたまう。国家レベルの政治的なことより、重松が五彩の虹に託したのは、矢須子の治癒だ。それが、国家が守るべき国民の日常だと思うのだ。
私の高校時代の式典は、傍からみると異様かもしれない。国家斉唱時は、管理職以外の教師や生徒のほとんどが起立しない。校長や教頭の唄声だけが、虚しく響く。
その際にも、壇上の壁の日の丸をはがしに、教師が走り寄る…そして止められる。
これが、入学・卒業式での日常茶飯事であり、普通の県立高校での出来事だから根が深い。祝日に学校で掲揚される日の丸を、勝手に下ろして揉めたのは私の担任だった。
それだけ、「国家」を顕す国旗や国歌に、広島はいまだ敏感だ。
日記の中の死体を運ぶ兵のいう「わしらは国家のない国に生まれたかったのう。」(P206)という偽らざる真意が身に沁みる。
今年の8月6日の平和祈念式典を中継したのはNHKだけだった。「唯一の被爆国」と銘を打つ国の現状はこの有様だ。原爆死没者名簿の人数が、2017年に30万人を越えた。いまだ原爆…いや国家は、人間を殺め続けている。
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