信州読書会さんに参加させていただいて、毎週金曜日に
 課題図書の感想文を提出させていただいていますニコニコ

 

  今回は、村上春樹氏の『 国境の南、太陽の西 』 の

  感想です本

  バブルの絶頂期、上品なジャズバーを経営する37歳の「僕」。  

  妻と二人の娘に恵まれて、満ち足りた生活を送っているように

  見える「僕」。

  そんな「僕」の前に、幼馴染だった島本さんという女性と

  再会します。彼女はミステリアスで、どうしようもなく惹かれて

  いきます。そこへ、かつて付き合っていたイズミ、妻の有紀子・・・と

  絡み合って、「僕」は翻弄されていきます。 

  このざっくりとしたあらすじでは、何もわからないと思います。

  村上春樹氏の作品ほど、あらすじにするのが難しい作家は

  いないと思います汗

  「僕」の日常とは…不安とは…なくしたもの、得たものとは…。

  是非、この作品を読んで、このモヤモヤを解消していただければ

  と思いますあせる

 

 

   

『 遠い星と砂漠 』

 

 小学生の頃、夜空で輝く星の光にかなりのタイムラグがあると図鑑で知った。目の前の現象を理解するだけでいっぱいいっぱいな年代に、「目の前に見えているものは、現実ではない」ということは理解しづらい。だが、この小説で、私は再び「遠い星」に出会った。そして、「遠い星」は夜空にあるのではなく、我々の日常に当たり前に存在していると既に大人になった私は、なぜだか知っていたような気がした。

 

 始は、仕事や家庭に恵まれても、欠落感や喪失感と共に生きていた。現在の状況が幸せであればあるほど、欠落感が浮き彫りにされ、それを埋めようと必死になってしまう。逆に、不幸であれば、そんなもの目立たないのだ。その埋め合わせのために、過去の島本さんを必要としてしまう。あの光源氏も、傍から見てまばゆい人生を送っているというのに、唯一手に入らなかった藤壺の影を、藤壺の死後も追い求め、周囲も自らさえも傷つけてしまう。でも、影は影だ。一番の理解者で愛する人であった紫の上をこれ以上ないくらい傷つけてしまう。まるで、始が有紀子を裏切ったように。

 

人間は、「現実」を「見たいもの」に変換できる機能が備わっている。始はイズミの肉体を、自らが欲していた島本さんに変換してしまう。でも、その島本さんは始が見ている影なので、どんなに求めても実体はない。だから、大人になって出会った島本さんは足が悪くなかった。もちろん、白い封筒もナット・キング・コールのレコードも、始が「見たかった」影だ。唯一、島本さんの残り香があるとすれば、赤ん坊の骨を流したところだろう。始に無理をさせてまで流したかったのは、自らの骨であり、肉体のない島本さんからのメッセージだったかもしれない。

始の言うとおり、島本さんは始にとっての「遠い星」だったのだろう。12歳の頃の光が、37歳の始に届いているだけなのだ。そして、「砂漠」は有紀子のことだろう。生きる「場所」としての…一見何もない砂漠だ。
 
始は、有紀子のいうとおり「ろくでもない人間」なのだろう。イズミや有紀子を直接的に裏切り、連絡を取らなかったことで、間接的に島村さんも傷つけている。

人間は、自らが傷つけられたことは覚えているが、他人を傷つけたことは覚えていない。私自身も、かなり傷つけられながら生きてきたが、それと同じくらい他人を傷つけてきたと思う。私自身、誰かにとっての「ろくでもない人間」なのだ。と同時に、誰かにとっての「大切な人間」でもありたい。贅沢かもしれないけど。

 

 

 

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