信州読書会さんに参加させていただいて、毎週金曜日に
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  今回は、檀一雄氏の『 花筐 』 の感想です本

  実は、檀一雄氏の作品はこれが初めてでした。

  御嬢さんの檀ふみさんがNHKの「連想ゲーム」に

  出演されてたのを微かに覚えている程度の知識でした汗

  ところが、今回の作品を読んで、長編ではないのにも関わらず

  ストーリーの激流に流される思いがしましたビックリマーク

  登場人物が、十代後半から二十代にかけての男女で

  行き場のない鬱屈してるエネルギーを体に抱えているのが

  行間からも伝わってきます。

  

  主人公の榊山は、海の近くの大学予備校に通っていて、

  そこで奔放な鵜飼、大きな頭の吉良と出逢います。

  友情と男女の愛が絡み合って、最期は燃焼していく姿を

  押し流されるような文章で描かれています!!

  こんな文章体験も初めてでした。

  短編なので、実際に読んでいただきたいと思います。

 

 

  

『 君ノ形骸ヲ愛ス 』

 

 この小説で私自身、感受性が感受性のままでいられる時期を覚えていないことに気がついてしまった。ひょっとするとなかったのかもしれない。吉良のように自らの観念に正直になることもせずに、榊山のように自らの感受性と対峙する勇気も持てずに、ただ目の前のレールの先を見据えていただけだった。それは、後戻りできない大人になった今となっては…とても切ない。

 

 吉良は、自らの病気によって母親の矛盾に気がつく。自らの形骸しか信じておらず、自らの形容詞で一喜一憂することに。母親に対する態度を「形容詞」と称するのは、読んでいても心が痛い。

確かに、子供時代は誰におもねることもなく、吉良のいう「観念」に正直でいい。それは、大人の保護下にあるからだ。ただ、大人になるにつれ、自らが「形骸」をかぶって生きていくことになる。どんなに近い関係であれ、自らの本質は自らしか知らないのだ。吉良の母親が、息子の形骸に気がつかなかったように。それは、暗黙の了解なのだと大人になれば肌感覚で理解できる。それに自覚的か、無自覚なのかは人それぞれだろう。

その感受性だけの親の庇護の時代から、形骸と共に生きる大人への一瞬の「間」に吉良は、崖を飛んでしまう。鵜飼や美那や千歳でもない榊山の前で飛んだということは、榊山への吉良からの「花筐」なのだろう。そのおかげで、仔猫のようだった榊山は一瞬で成長する。それが「死」でしか、この多感な時期に折り合いをつけられなかった吉良の命と引き換えだったのは、刹那すぎるけれど。

昨今、SNSが日常に入り込んで久しい。SNSこそ、人間同士というより「形骸」同士だ。でも、私は形骸もその人間の一部だと思う。何を信ずるかは、自らの観念で判断すればいい。ひょっとすると、吉良は母親を喜ばそうと苦しくても笑っていたかもしれない。悲しくても、涙を流さなかったかもしれない。それは、形骸ではなく、「思いやり」だ。

だから、形骸かどうかではなく、生身の人間でもSNSでも、自らの観念で人を愛そうと思う。それは、吉良より年齢を経ているから、そう思えるのかもしれない。

 

 

 

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