ホントはね、植松の引退試合の相手をお願いされてたの。
でも、その前に私の引退の相手を植松にお願いしてたんだ。
私は、昨年10月の舞台が終わったら引退する予定だったのです。
舞台RINGはシリーズで5年かけて完結しました。
プロレスの物語でKAORUとして出演していたので、完結するまで現役でいようと決めていたのです。
秋で引退。
引退する10月のほぼ半年前に、OZ後楽園大会が予定されていました。
そこで発表しようと決めていた興行の数日前、
3.11東日本大震災
興行は中止になりました。
募金活動や微力なりに自分に出来ることを探し回った1ヶ月。
そして迎えた4.10のOZ新宿FACE大会。
尾崎とAJAとのベルトをかけたスリーウェイ。
勝っても負けても試合後、引退を発表しようと決めていました。
開始早々に骨折をし、戦線離脱。
また…引退を伝えられなかった。
二度に渡って流れてしまった発表。
事情をしっている人達には、引退するなってことだよと慰められ…。
とにかく、引退試合の相手は、常々『KAORUさんより先には引退出来ない』と言っていた植松にお願いしていました。
思うように進まない治療、感染症や合併症。
引退より復帰を目指す日々に変わりました。
そして舞台稽古が始まった9月。
稽古場で植松に
『KAORUさん、自分の引退試合の相手をしてください』
と、お願いされたのです。
言葉が出ませんでした。
診察で完治に後、半年はかかると言われたばかりだったから。
その事を伝えると
『半年と2ヶ月あります。ギリギリまで待ちます!』と。
それを目標にして、医者にも復帰しますと豪語して
がんばってみたんだけど
今年に入って違う病気が見つかって
痛みも取れなくて、当然医者からのOKも出なくて。
大切な試合、半端な状態では出られない。
2月に涙を飲んで断わりました。
なのに
『まだ、諦めません!ギリギリまで!最後にムーンサルトを受けたいんです。試合は求めません。コスチュームでリングに上がってもらえませんか?』
また、頑張れる目標をくれました。
試合は無理でも、ムーンサルト一発だけなら、頑張れば…もしかして。
でも、間に合わなかった。
悔しい思いと申し訳ない思いで押し潰される日々。
会わせる顔がない。
そんな思いで向かった後楽園。
引退試合に感動しました。
自分の教え子たちと戦う植松を誇りに思いました。
これから頑張る勇気を、プロレスの素晴らしさを
そして、プロレスが好きだと言う想いを
思い出させてくれました。
ありがとう。
あのムーンサルトは絶対に忘れないよ(^-^)
諦めないからね。
KAORU