EF57と赤羽界隈 | 鉄道マンたしろかおるのナイショ話

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元山手線運転士・元参議院議員 たしろかおる の鉄道ブログです。

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今回は、車両の検修をしている仲間から送られてきた写真をご紹介します。




今回送らせていただくのは「EF57と赤羽界隈」です。 EF57は国鉄が1940年から1943年に製造した機関車で15両が製造されました。パンタグラフが前方に飛び出したスタイルが格好良く人気があった機関車ですが、1号機だけは先代のEF56として製造中に設計変更されたため、車体がEF56の2次型と同じ形態となっています。


晩年は東北本線の上野~黒磯間で運用されていましたが、東海道・山陽本線で余剰となったEF58に置き換えられ、1977年2月頃に「さよなら運転」などのイベントもなくひっそりと現役を退きました。


1976年5月に赤羽駅で撮影したEF57 4が牽引する東北線の125列車です。この列車は上野を16時過ぎに発車する福島行でした。旧型客車は2ドアのため混雑が激しく、いまでは信じられませんが終戦直後の如く、機関車のデッキ上まで乗客が乗っていることもありました。右端に移っているのは赤羽線でカナリアンイエローの101系です。今は全て高架になり、この写真から今の姿を想像するのは困難ですが、赤羽線の行き止まりホームが懐かしい思い出です。






1976年8月、EF57最後の夏に赤羽駅と新河岸川橋梁の間で撮影したEF57 7が牽引する122列車です。この列車は上野に13:30頃に到着する列車でした。走行中にドアが開いて人が身を乗り出していますが、旧型客車ではよく見られた光景でした。






1976年10月に撮影したEF57 1とEF58が重連で牽引する125列車です。EF57 1はEF56と同じ車体のためパンタグラフが中央に寄っているのがよく分かります。これは赤羽駅北方の袋踏切付近で撮影しました。





これも1976年10月に上の写真と同じ場所で撮影したEF57 4牽引の124(荷48列車)列車です。この列車も客車のデッキにぶら下がっている人がいます。






1976年8月に撮影した157系のお召し列車です。中学2年の夏休み、近所を自転車で走っていると線路脇の所々に警官がいました。これは来るぞと思い、急いで家からカメラを持ち出して赤羽駅北方の線路脇に行くと数分後にこの列車が通過しました。






これも1976年に赤羽駅北方で撮影した485系「ひばり」です。「ひばり」は上野~仙台間を結ぶ特急列車で東北新幹線開業前は14往復も運転されていました。先頭車は大宮の鉄道博物館に保存されている車両と同じ形態のボンネットタイプです。




今回もご覧いただき、ありがとうございました。


元山手線運転士の参議院議員 たしろかおる は、7月10日投開票の参議院議員選挙に比例区から立候補いたしました。比例区は全国どこからでも投票することができます。唯一の現場の電車運転士出身の参議院議員 たしろかおる へのご支援を、何卒、よろしくお願いいたします。


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