鉄道事故と当事者としての運転士 | 鉄道マンたしろかおるのナイショ話

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元山手線運転士・元参議院議員 たしろかおる の鉄道ブログです。

元山手線運転士で、現在は参議院議員の たしろかおる です。


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今回は、鉄道事故と当事者としての運転士のことを書きます。



先日、この鉄道ブログでご紹介しているシリーズ「長さんの鉄道写真館」でおなじみの「長さん」から、ある写真を提供していただきました。それがこちらです。











無残に壊れてしまったこの機関車。鉄道史に残る事故のひとつ、三河島事故の当該機関車、D51364号機です。この機関車が1962年5月3日、三河島駅構内の出発信号機を冒進、安全側線に進入し脱線、通りかかった常磐線の下り列車と衝突。衝突後上り線にはみ出した下り列車と、線路に降りて避難しようとしていた乗客に上り列車が突っ込み、死者160人、負傷者296人を出す大事故となってしまいました。


この事故の当該機関士と機関助士は、私の出身職場である田端機関区の先輩です。両先輩共に、事故の責任を問われ、長い裁判闘争の末、お二人とも禁固刑が確定。収監され、刑期を終えて釈放。その後も私たちに、事故の教訓を語り続けてくれました。


不幸にも事故が発生してしまったとき、運転士の職責上、事故の責任が問われるのは当然です。それだけの職責を背負って、運転士は乗務しています。しかし、事故原因を究明するうえで、「運転士がたるんでいたから」「決められたことを守っていなかったから」ということで片づけてしまっては、本当の原因究明にはならず、再び事故を起こす要因を残したままとなってしまします。


ですから、当時の機関士、機関助士の仲間たちは、逮捕され、裁判にかけられ、収監された二人のたたかいを支えました。


また、鉄道マンたちは、国鉄当局、そしてマスコミなどから、職場の「士気の緩み」というデマが流布されながらも一丸となって、「乗務員の注意力依存のみによる対策反対」を掲げ、アピールしてきました。それは、二度とこのような大惨事を起こさないための、鉄道マンたちのたたかいでした。


当時の国鉄は、増大する輸送量に設備が追い付かず、そのうえ合理化を進めたことから、各地で事故が頻発していました。また、職場環境も劣悪でした。現状を放置してしまえば、再び大事故が起きてしまう。職場でそのことを実感している、現場の鉄道マンたちは、マスコミや国鉄当局からの様々な嫌がらせ、妨害に耐え、声を上げ続けました。


そして、ついに鉄道マンたちは「列車自動停止装置の速やかな導入、信号見通し不良箇所の改善、安全側線の改善、乗務員休憩室、宿泊所の改善」等を実現しました。このことは同時に「運転士がたるんでいたから」「士気の緩み」などという国鉄当局やマスコミの宣伝が間違いであったことを証明することにもなりました。


現在は設置が当たり前となった自動列車停止装置(ATS)も、当初はこのような鉄道マンのたたかいがあったのです。


この鉄道マンのたたかいの教訓は現在も、私の所属していた山手線の運転区所はもとより、JRの職場に受け継がれています。三河島事故発生から54年。教訓が現在まで受け継がれているのは、三河島事故以降も、JRが発足してからも、鉄道マンのたたかいが続いているからです。


続きは、また次回書きたいと思います。





今回もご覧いただき、ありがとうございました。


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