キンモクセイの花 金木犀が薫ると ~ 


わたしは最愛の恋猫 ネコ カオルのことを思い出す。





在りし日のカオル


カオルは8才の若さでこの世を去った。


亡くなるきっかけとなったのは

「甲状腺機能低下症」


その年の、夏の終わりから徐々に食欲がなくなり

元気がなくなった。


夏バテかと思っていたが…

尿の色が悪かったので病院で検査したところ

この病気が発覚した。


薬は食事に混ぜて飲ませなければならない性質のもの

だったので、

食事を受け付なくなったカオルは

点滴から始まり…

鼻から細いチューブで液体の栄養を取りながら

回復を待ち、

状態が良くなったら、喉からチューブで栄養と薬をとる

予定だった。

(喉からチューブは一時的なもの。

 さらに良くなればやめられる)


その状態(喉にチューブを通した)になれば退院して

家で世話ができるという事だったので

回復を待っていたのだが…


ある日の真夜中、状態が急変し…

入院中にカオルは亡くなった。


入院中、何回か面会にいったのだが

苦しそうなカオルを目にするたびに

泣きながら帰ったものだ。


それからは毎日、後悔の日々が続いた。


どのタイミングで病院へ行けばよかったのか?

苦しませただけなら、家でゆっくりさせればよかったのか?

発症したのは多頭飼いのストレスのせいだったのか?

野良として外でのびのびした方が幸せではなかったのか?



カオルが亡くなったあと

数ヶ月泣いて過ごし、家族に叱られた。



その直後また、性懲りもなく野良にゃんのお世話をするように

なったのだから、家族もあきれていると思う。







わたしは「虹の橋」の伝説を信じてはいない。


動物の命は亡くなったらそれで終わり。

苦しみも悲しみもない、無の状態だと信じている。


だからこそ生きている今、精一杯のお世話をするべき

だと思っている。


大変な病気でも、打つ手があるうちに有効な治療があれば

試してみようと思う。

手遅れになってからでは遅いから。


そして苦しませるだけなら安楽死も有りだと思う。


カオルのかかりつけの先生は必要ならそれを

飼い主に勧めることの出来る先生だったが

カオルには勧めなかった。

少しでも良くなる事を期待していたんだと思う。


それだけに、わたしは自分のお世話の甘さを憎む。



だからもう二度と後悔はしたくないのだ。



後悔することは再び泣くこと。



過去にとらわれて、今生きている子たちのお世話が

おろそかになってはいけない。


だからこそ普段のわたしは

カオルの記憶を封印しながら毎日をやり過ごしている。

でも…カオルが亡くなった金木犀の薫るころは ~

カオルのことを思い出さずにはいられないのだ。



一年に一度だけ、こっそりと…


カオルのために涙を流す… 泣き 涙





カオちゃん、もう一度、会いたいなぁ。