この世の主役はわたし💓

 

自分軸””直感””ポジティブ”ギャルマインド全開で地球の枠にハマらない🤟 

 

星読み&ジェンダーレスファッションコンサルタント 

 

ギャルかおりんです💛

 

 

初めましての方は、こちら💛

 

 

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1983年11月24日、 長崎県佐世保市で生まれる。 

出産時、母が切迫早産だったが、無事に出産。

 

 

 自分でも生まれてきたかったのかな、と思っている。 

 

その後兄妹が増え、 父、母、妹、一回り離れた妹、弟の6人家族。 

長女。 

性格は、恋愛は女子モードだが、

 友達付き合いは一つのグループだけに所属するわけでもなく、

あちこちのグループに所属するような、サバサバした割と男子っぽい性格。 

 

6歳まで 父親が長崎の炭鉱の島で有名な「池島(いけしま)」で働いていたので幼少期は島育ち。 

 

フェリーで本島から30分の距離だった。 

 

いわゆる「軍艦島」のような炭鉱の島で、現在は閉山されている。

 

 母曰く、幼い頃からエネルギッシュな子供だったので 

母親が見兼ねてお友達と沢山遊べるように保育園に通わせる。 

 

 

キリスト教系の保育園に3歳の時に通っており、 

お遊戯会の時マリア様をやりたい!とグイグイ前に出ていた。

 

 この時から派手な物やオシャレも大好き。 

 

 

その後、年中から幼稚園に通い、

担任の先生がお母さんのように優しくて大好きだったのが思い出。 

 

逆上がりを毎日、手にマメができるまで練習していた記憶がある。 

 

この時に通っていた保育園と幼稚園は、

島唯一の施設だったため、 

島の子供たちで通う子は、みんな通っていた。 

 

 

小学校 小学校入学から4年生まで父親の仕事の転勤で千葉県松戸市に住む。 

 

 

小学校低学年の頃、自分が寝ている時に、自分を俯瞰で見る体験をする。 

 

 

後々、これが自分以外の人もできると思っていたが、

そうじゃないことに気づく。 

 

 

やはりこの頃も元気すぎて、 お友達と「3人暴力団」というグループを結成。

 (暴力を振るわけではない笑。イケイケにしていただけ笑。) 

 

 

それを知った母親が心配して先生に手紙を書いていた。 

先生はいつも良い方ばかりで可愛がってもらえていたのが印象にある。

 

 今思うと、会う先生はみんな良い先生に恵まれていたように思う。 

長崎の環境もよくほめられた。 

 

友達も自分の良いところを理解してくれる友達が多く、楽しかった。 

 

 

松戸市に住み始めた時に、母がキリスト教に入る。 

父はそれをよく思っておらず、父と母が揉めていたのをよく覚えている。 

 

今でも心に傷があるような、もやもやした気持ちがあった。

 

 

この頃から親とのコミュニケーションに、甘えられない気持ちが出始める。 

それが外へ向いていたのかもしれない。

 

 

 

 自分のホロスコープを見ても、

太陽星座、月星座を見ると 家庭を大切にする必要がある部分があり、

人生のなかで家庭が基準になると思っている。 

 

 

4年生~以前住んでいた長崎の池島へ戻ることに。

 

 

父の転勤。 東京弁がしゃべれるので一時期、

友達の中で標準語ブームを巻き起こす。 

 

 

5年生位から、年上の男の子に興味を持ち始め、

恋する乙女に。交換日記をして楽しんでいた。

 

 当時好きな6年生の男の子と交換日記をしていた。 

 

 

幼少期からオシャレが大好きで地元では目立つ格好をしていたのかもしれなく、

よく視線を感じていた。 

 

 

 

そのため、小学校の時に知らない年上の女の人から目をつけられ、 

「中学校に行っても目立つんじゃないぞ」と言われた(笑) 

 

 

中学校 部活に所属しなければいけなかったので、

しぶしぶ陸上部に入り 一通り部活動をする。 

 

 

だけど、やはりスカートが短いなどで先輩から常にご指導が入る笑 

 

 

部活のミーティングで部活の話をするかと思いきや、

自分が立たされ、 「はい、スカート短い!」とか言われたりした。

 

 

 髪の毛を染め出したりして、校則なんてくそくらえなタイプだったけど、

 まだ1年生なので、きもち控えめにしていた。(笑) 

 

 

自分で見た目とか、好きな髪色など、

やりたいことをやっている先輩とは、仲良くできて、 

それができない先輩からは、

自分がたとえ制服でも、好きなように自由に表現しているところを妬まれていたのかなと思う。 

 

 

 

小学校から引き続き、3年生の男の先輩との恋愛をいつも楽しんでいた。 

 

 

先輩と遊んでいる時に、

キスしていたのを誰かに見られて 母に心配をかけてしまうこともあった笑 中学2年生の時に、

父親の仕事の転勤でオーストラリアのシドニーへ。 

 

 

シドニー日本人学校へ通う。 中学校は日本人が多かったが、

小学校などは世界の子どもたちがいた。 

 

 

全国から色々な子が集まっている学校だったので、とても刺激的で楽しかった。 

 

 

多様性を受け入れる感じで、子どもたちも純粋でいろんなことを受け入れてくれる友達が多かった。

 

 

ひねくれる感じもなく、よかった。 

オーストラリアでずっと育って通っている日本人の子たちもいた。

 この時、よく先生に言われたのが「クラスにあなたが来たことで明るくなった」と いう言葉。

 

 

自分としてはとても嬉しかった。 

 

 

これは今でも「あなたがいると雰囲気が明るくなるね」と言われることがある。 

 

 

海外ということでピアスもあけ、髪の毛も金髪にしてみたり 

自分を更に発揮したり、表現できるようになる。 

 

 

すごく楽しい海外生活で、一生の思い出となる。 

 

 

家族ぐるみで仲の良い子がいて、

年上のお姉さんがいる友達がいたが、 自分の母とも面識があるので、

一緒に夜遊びしたり、日サロに行ったり笑 楽しい思い出しかなかった。

 

 

 オーストラリアの治安の良さもよかったのかもしれない。 

 

 

自分が家族の中でオーストラリアを一番満喫してた、

と母に言われたこともあった。 

 

 

オーストラリアに行って、日本とは空気が違う、場所の感じが違うと思っていて、

 「日本も好きだけど、自由な感じや空気感が自分に合っている。」

と 思っていた。 

 

 

 

中学3年生で今度は千葉県千葉市に父が転勤になる。

 

 

 これ以降は日本に住むことになる。

 

 

 ここでも、校則は守らない笑 恋愛も友情も全力で楽しむ子だった。

 

 先生から謎に普通の靴下をクリスマスにプレゼントされる。

 (ルーズソックスブームだったので、普通の靴下を履きなってことだったのかな) 

 

 

好きな人と同じ高校に行くことにしたら、母親から止められたけど、 

言うことを聞かないでそのまま受験する。

 

 

 父と母の状況から、家にも居心地が良くないことと、 

そもそも家にじっとしているタイプではなかったので 当時から夜遊びも盛んに。 

 

 

今でも家にじっとしているタイプではない笑 

 

 

母のキリスト教の集会にもたまについていっており、聖書を読むことや、 

神様の存在などを知識としてインプットする。 心を大切にすることなども学ぶ。 

 

 

自分にはスピリチュアルな能力があったと今なら素直に思う。 

 

 

スピリチュアルの能力はこの当時は自覚がなくて、

自分が変な人だと思っていた。 

 

 

当時は自分としては母の宗教は好意的に思っており、 

父が反対する気持ちがわからなかった。 

 

 

今思えば、父は仏教を信じる人で、母の宗教が変わったことが 

受け入れられなかったのかもしれない。時代もあったと思う。 

 

 

高校 当時、中学校からお付き合いしていた彼と同じ高校に入る。

母の希望とは違っていたが、引き続きギャルが全力でできるぞー!と 

もっと自分全開になる。毎日楽しい高校生活。 

 

 

ギャル系のお友達も沢山できた。 

今でも仲の良い親友がいるが、

親友は自分軸で生きているので 自分ではその部分にとても惹かれて、

今でも仲良し。 

 

親友が欠点を欠点に感じていないこと、

自信を持っていることが よかったと思う。 

 

 

高校1年生の冬にずっと付き合っていた彼との子を妊娠。 

結婚をしたいと思ってお互い真剣に付き合っていたので出産することに。

 妊娠に気づいたのが4ヶ月で、リスクも考えたが、出産を決めた。 

 

 

高校の授業の単位も取らないといけないので、

お腹が大きくなってきてもマラソンの授業に参加したり。 

 

 

友達が代わってマラソンを走ってくれたりした。優しい。 

 

 

高校1年生の単位を無事取得し、そのまま通信の高校へ編入。 

高校2年生、17歳の夏に長男を出産。 

 

 

その後、彼とはお別れをすることになり、

子供も相手方が育てる流れに。 

 

 

このころ、18歳になる前に、

18歳以上しか入れない場所に行ったりと いろんなことをしていた(笑) 

 

 

楽しい毎日だったけど、 きっと、

子供を手放した現実からも逃げたかったのだと思う。 

 

 

自分の性格は明るい、ポジティブな感じだが、やはり悲しい部分もあり、 

そうしてしまっていたのかなと思う。

 

 18歳の時に都内で一人暮らしを始める。

 接客業が好きなので、美容院や、アパレル、夜の仕事をしながら、

 歌舞伎町に入り浸る生活が始まる。 

 

ホストクラブにも短い期間だったがハマり、

沢山お金も使う。 

 

借金もしたり。 それは男性に貢ぐよりも、

お店の雰囲気やパーティ感が楽しくて、 お金を使っていた感じ。

 

 他にもクラブで遊んだり、仕事したりで充実した日々だった。 

 

 

アウトローな男の人と付き合ってみたり、 

カタギじゃない世界ものぞいてみたりした。

 

身の危険も感じたこともあった笑 両親は心配してくれていたけど、

色々な意味で愛情を感じていた。 

 

 

借金が返せなかった時、

お金をたくさん出してくれたり笑 もちろん見えない部分での愛情も感じていた。

 

大人になって母から「あなたのことをちゃんと見られていない時があった」と

言われたこともあった。

 

 

母は言うことはカラッとしているが、4人の子育ては本当に大変だったと思う。 

 

 

母に自分の言いたいことは昔は言えなかったり、

自分も家にもいなかったので 家族らしい思い出は少ないと思う。 

 

 

社会人 20歳を過ぎてまた地元の千葉市へ戻る。夜の仕事、アパレルなどをする。 

 

彼氏と同棲したり、一人暮らしをしたり、実家に住んだりしていた。 

 

でも常に実家にはいない。 中学校くらいから車も大好きで趣味に車も追加されるほど。 

 

所有している車で取材を受け、いくつか雑誌に載ることもあった。

 

 25歳からお付き合いをした今の主人と 27歳で授かり婚。

そして長女を出産。 

その頃、主人の仕事も軌道にのっていなかったので 私の実家で同居することに。 

 

母が癌になり、病院に連れて行かなきゃいけなくなったりした時に同居をしたが、 

その頃から母とよく話をするようになり、もっと早くそうしていてもよかったかな、と感じている。

 

 

気持ちが通じ合うようになった。 

昔は事務連絡みたいな会話しか、小学校のころからしてこなかった。 

 

同居は最初は苦痛しかなかったが、だんだんと話せるようになってよかったと思う。 

 

今は母は亡くなってしまったが、気持ちが通じ合える時期があってよかった。

 母から「母親らしくしなさい」とよく言われたことが多かった。 

 

最初の子供もちゃんと育ててあげられなかったことも思いとしてあり、

 「ママだから病」に自分がなっていた。 自分の母が亡くなったことで寂しさはあったが、

 自分が「ママだから病」で「全方位でちゃんとしたママでなければいけない」 という思いよりも、

 元々の自分全開で生きていけるようになった。 

 

 

以前の自分のように楽しく生きられるようになった。 

身内が亡くなったことから「いつ死んでも後悔しないように生きる」 ということも意識するようになった。

 

時間は命だと思っている。

 

より自分全開で生きていきたいと思っている。 

 

現在 中学校くらいから心理学や引き寄せの本などもよく読んでいた。 

本を読むことで自分の気持ちを整理できていたように思う。 

 

 

メンターをつけて、自分を知ることもやってきた。 

自分が楽しく生きていきたいことをモットーにしていきたかったので、 

自分の深掘りや、インナーチャイルドなど いろんなことを今までにやってきた。 

 

 

前世を見てもらった時に、宇宙人ということが判明し、

自分でも仲間を探しているらしい。 

 

 

まだまだ自分に許可を出していないこともある。 

 

 

地球人、宇宙人と分けるわけではないが、

自分を出したいけど、出せてない人が 多く感じる。欲を抑えている感じがする。

 

 

自分でも「ママだから病」で自分を抑えていて、

とても苦しかったので もっと自分を解放して、

自分全開で生きることをサポートしていきたい。 

これからの自分の人生も楽しみで仕方ない。

 

 

 

 

 

 

 

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