昨日は、国指定重要文化財で秘仏の「如意輪観音像」が年に1度だけ公開される

「融通(ゆうずう)観音大祭」でした。

如意輪観音像のご開帳日で、行こうかどうかかなり悩んだ末に行って来ました。

ここの所 神社・仏閣に行く気力がなくなっていました。

見た仏像は、国の重要文化財になっているほど凄い物でした。

いつもは、外から拝んでいるだけでしたが、こんな凄い物があるなんて思わず驚きと興奮でした。

何度も見て、目に焼き付けて溜息が、でるくらい美しい物ばかりでした。

毘沙門天もあり荼枳尼天もありましたし弁財天もあり天部の神様

不動明王・大黒天もありました。本当に貴重な物を見せて頂きました。

他にも色んな仏像が、あり多さにも驚きました。

ここは、momoさんに私が、定期的にいった方がいいお寺・神社を聞いて見た時に

お寺は、「神呪寺もしくは、門戸厄神」と、言われました。

交通の便利な方で、定期的に門戸厄神に行ってますが、時々神呪寺にも行っています。

おそらく過去世絡みの縁が、あるような気がします。→2つ前の過去世です。

最近私は、上から目線で、モノを言う人 人に感謝出来ない人を避ける傾向にあるようで、

人と付き合うのも人に感謝出来ない人

力で相手を押さえつける人(相手が~しないから強制的に押さえつけたりするまでやり続ける。)

人は、自分が、興味がないものは、見ないと思います。(ブログとか本など)

上から目線で、モノを言う人付き合いたくないなあと、言うのが本音です。

もう私も人生も後半戦合わない人とは、少しずつ縁を切っていきたいなあと、思ってます。

私に暴言を吐いたり悪態を付いても許して貰えるのは、息子達だけです。

 

如意輪観音は、

宝珠(宝の玉)であらゆる願いをかなえ、法輪(古代インドの武器)で煩悩を打ち砕くといわれ、

古くから人々に信仰されてきました。 
 

神呪寺

創建は831(天長8)年。淳和天皇の妃(きさき)、眞井(まない)御前が

弘法大師を導師に迎えて開いたといわれる真言宗の寺です。

古来、神の山と信仰されてきた甲山の中腹にあることから、

“神のような不思議な力のある寺”として、神呪寺と名付けられたとか。

また、神呪(じんしゅ)は“仏の真実の言葉”という意味を持つそうです。

 

戦国末期、寺は有岡城(現伊丹市)城主の荒木村重を支援したとして織田信長に焼き打ちにされ、

豊臣秀吉の太閤(たいこう)検地で寺領を半分に減らされると、僧たちは甲山を降りて暮らし始めた。それで寺の名前をとったのが神呪町の由縁という。

 寺が“里帰り”できたのは、それから約170年後のこと。徳川5代将軍綱吉の母・

桂昌院(けいしょういん)が200両を差し出すなどして神呪町付近に一時復元された後、

江戸中期1749年にようやく今の場所に再建されたそうです。

仏像は、全て写真を撮っては、いけないので、パンフレットを貰ってきました。

それは、アメーバ記事で書くかもしれません。気が向いたら書くかもしれません。