着物着た時に
我が家の壁にいつもかかってる高札。
時々反応いただくので ちょっとご紹介。
これね
高札 というのは
徳川幕府が農民や商人を取り締まる基本的なきまりを公示したもの。
高札そのものはそれこそ奈良時代からあるものだけどね。
「定」とかいてありますがこれには
「定」と「覚」と2種類あって「定」は永年掲示
「覚」は暫定的な掲示みたい。
なのでこれはずっとかけとくやつ。
真ん中に「太政官」とありますが
これは明治政府が発行したもので「県」の名前が記されています。
これより前は「奉行」江戸幕府が出したもので大名の名前があります。
ん?かおりんこれは明治時代なの?
そうです
慶応四年三月とありますね
この年の9月8日に「明治」に改元しているので、慶応4年=明治元年ということなのだ。
これを出したのは明治政府ってことやね
さて。ではなんて書いてあるのでしょう?
「キリスト教の信仰は、これまで禁止してきたとおりに固く守ること。邪悪な宗教は固く禁止します」
明治政府になっても切支丹 キリシタン キリスト教に対する取り締まりは厳しかったってことです。
高札が撤去されるのは明治6年(1873年)になってから。でもそれはキリスト教が受け入れられたのではなく 諸外国からの内政干渉によるもの。
あかんよ、あかんのはあかんけど
まぁ…とりあえず黙認しといたるわ。に変わったくらいのことかなぁ?
まぁ日本は神道の国で 明治のはじめなんてそれこそ神仏分離で よその国からやってきた仏教でさえ…廃仏毀釈てなことが行われてたあたりやからね。そらもうキリスト教への弾圧は無くならなかったはずだよね。
それでも外交をするにあたり、キリスト教を弾圧する国なんて信用ならんぞ、と欧米から言われて
仕方なく高札は取り下げたって感じでしょうか…。
この高札が他の切支丹禁止の高札より貴重なのは(つまりお高い(笑)「堺県」だから、らしいですよ。ここ掘ったらめっちゃおもろいねんけど電車が目的地に到着するのでそれはどうぞご自分で✨✨これ書くのに旦那氏にいくらで落札したのか初めて聞いた(笑)内緒やけどなっ。
あらま!ってなりました😳😳😳
調べるのにお世話になったサイトはこう締めくくってました
真の意味において平等に信教の自由が認められたのは、『日本国憲法』が施行された昭和22年(1947年)からのことでした。
ってことで我が家の壁にかかってる高札の考察でしたとさ!
実はうちには高札がたくさんありますのです💦
飾るとこなくてしまってあるけど。
いろいろ書いてあって面白いでしゅ。
6年前の旅行で高札を、再現してるとこ見に行ったの思い出した!写真残ってた!